日本人と梅

2016/01/06

梅は外来種です。その証拠に『古事記』・『日本書紀』に梅は描かれていません。漢詩集『懐風藻』にはじめて出ていることから、中国から伝来したことが察せられます。8世紀に中国との交易の中で、薬用の「烏梅(うばい)」(梅干の一種)が輸入されたのです。その際、梅の種や苗も輸入され、日本で栽培されたのでしょう。ですから『万葉集』では、最初に大宰府の梅が詠まれています。

ところでみなさん、「うめ」は訓読みで「ばい」は音読みと思っていませんか。実は両方とも梅の中国語読みから変化したものです。「うめ」は古語では「むめ」ですから、「ばい」とも近いのです。そのため「うめ」も音読みとする説もあります。要するに日本語に「梅」に当るものが存在しなかったのです(「菊」も同様です)。

いずれにしても舶来ということで、当時はとても高価かつ有用な植物でした。必然的に都の中に植えて管理されたようです。山桜が野生であるのに対して、梅は人間の手によって栽培されたのです。そのため『万葉集』において、梅は桜の3倍(119首)も歌に詠まれています。

その梅は薬用のみならず、あと二つの付加価値がありました。一つは春になると他の植物よりも早く花を咲かせることです(百花の魁(さきがけ))。そのため鶯と抱き合わせにされ、春の訪れを告げる花として尊ばれました。例えば『古今集』では、

春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすぞ鳴く(素性法師)

と歌われています。ただしこの歌では梅は咲いていません。ここでは一刻も早い春の訪れを願って、梅の枝に降り積もった白雪を、梅の開花に見立てて詠んでいるのです。これが紅梅だったらそうはいきません。この見立ては、当時の梅が白梅だったからこその技法といえます。

もう一つは馥郁(ふくいく)とした香りを放つことです。桜にそんな匂いはありませんから、「色の桜」・「香りの梅」ということになります。そのことは、

色よりも香こそあはれと思ほゆれたが袖触れし宿の梅ぞも(古今集)

という歌からも察せられます。もっとも平安時代に紅梅が入ってくると、それこそ、

君ならで誰にか見せん梅の花色をも香をも知る人ぞ知る(紀友則)

のように、色も香もある花として歌われるようになります。

この「香り」というのは、嗅覚(鼻)で感じるものですよね。ですから梅の場合は視覚が通用しない夜でも、

春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる(古今集)

と闇夜の梅が詠まれます。というより、視覚がきかないからこそ嗅覚の機能が発揮されるわけです。

また「匂い」という語は、古語では視覚にも嗅覚にも用いられていました。たとえば百人一首で有名な伊勢大輔の歌では、

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな(詞花集)

と、桜の視覚美が歌われています。本居宣長も、

敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花

と歌っていましたね。これも朝日に照り輝くような視覚美です。

それに対して紀貫之の、

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける(古今集)

は、梅の花の匂いが歌われています。もっとも、貫之の歌には「花」とだけあって、一見すると何の花かわかりません。みなさんは平安時代に「花」といったら「桜」を指すと教わっていませんか。それも間違いではないのですが、ここでは「香に匂ふ」とあることに注目して下さい。普通桜は「匂ふ」であって、「香に匂ふ」とは言いません。要するに視覚の場合は「匂ふ」で、嗅覚の場合は「香に匂ふ」と使い分けられているのです。ですからここは桜ではなく梅ということになります。