「むすめふさほせ」の成立

2015/11/16

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

 みなさんは「むすめふさほせ(娘房干せ)」をご存じですか。なんだか呪文のようにも聞こえますが、かるた取りをやっている人なら、すぐに「一字決まり」という答えが返ってくるはずです。これは百人一首を五十音順(いろは順)に分類した際、その字ではじまる歌が1首しかない(一字で取れる)札が7枚あることを意味します。二字目で取れるのが「二字決まり」で、最大「六字決まり」まであります。

 具体的にいうと、「む」ではじまる歌は寂蓮の「むらさめの」しかありません。ですから読み手が「む」と詠んだ途端(耳のいい人は子音の「m」だけで)、すばやく「きりたちのぼる」札を取ることができるわけです。江戸時代は、百人一首を暗記しているだけで、人よりたくさん札を取ることができました。しかし競技かるたでは歌の暗記が前提ですから、それ以上早く取るための秘策として、「決まり字」が考案されたのです。

 では「むすめふさほせ」は、いつ誰が発見したのでしょうか。一般には、競技かるたの創設期と考えられています。ただしそれ以上のことは調査されていません。そこで改めて明治38年1月1日発行の萬朝報に掲載されている「小倉百人一首かるた早取法」(黒岩涙香述)を見ると、そこに「フサホセムスメ」と出ていました。これが同年12月発行の篠原嶺葉著『歌かるた博士』(大学館)では「むすめふさほせ」となっているので、その間に覚えやすいように語順が入れ替えられたのでしょう。ですから「むすめふさほせ」の成立は明治38年ということになります。

 それ以前、明治36年12月発行の若目田華津著『百人一首かるた必勝法』(新橋堂)を見ると、「上の句の頭字で並べる法」に「むすめさせほふ」と出ていました。既に「一字決まり」に言及されているのですが、必ずしも覚えやすい言い方にはなっていません。それはさておき、この『百人一首かるた必勝法』が「一字決まり」の出発点と言えそうです。

 ところでみなさん、この本の発行所に見覚えはありませんか。競技かるたの歴史に詳しい人なら、すぐにピンとくるはずです。新橋堂は、明治37年に発売された競技用「標準かるた」の発売元だからです。また著者の若目田氏(現東大工学部卒業)は、当時かるたの名手として知られていた人でした。その意味でも若目田氏は、「一字決まり」の発見者としてふさわしい人と言えます。

 話は変わりますが、みなさんは2010年1月から放映されたNHK土曜時代劇「咲くやこの花」という連続ドラマを覚えていますか。主役は成海璃子さんで、江戸時代後期に百人一首のかるた大会を江戸城で開催するという奇想天外なお話でした。もちろん江戸時代に大規模なかるた大会が行われたという資料など存在しません。

 さらに脚本家の藤本有紀さんが悪乗りして、かるた取りを盛り上げるために「むすめふさほせ」を導入したいという申し出がありました。番組の監修を担当していた私は、「一字決まり」を江戸時代まで遡らせることには躊躇しました。ただそういった発想が、江戸時代にまったくなかったとは断言できないので、しぶしぶ承諾した次第です。

 その時以来、「むすめふさほせ」のことがずっと気になっていました。そして偶然入手した『福びき集』(博文館)の中に、なんと「さすせふほむめ」(五十音順)と記されていたのを見つけました。この本の発行は明治33年11月ですから、若目田氏の本より3年早く出版されたものです。覚えやすさは配慮されていませんが、既に「一字決まり」がかるた早取りの秘訣として確立していたことがうかがえます。

 こうして「むすめふさほせ」のルーツは、若目田氏を越えて明治33年まで遡らせることができました。わずか3年ですが、これによって競技かるた成立以前から決まり字が意識されていたことが明らかになりました。今後は、これをさらに1日でも遡らせることのできる資料の発見につとめたいと思っています。はたして江戸時代まで遡ることができるでしょうか。

 

※所属・役職は掲載時のものです。