「坊主めくり」の謎
吉海 直人(日本語日本文学科 教授)
百人一首の遊び方の1つに、「坊主めくり」があります。実際に遊んだことのある方も多いのではないでしょうか。この「坊主めくり」は、かるた取りに必須の読み手は要りません。原則無言で行います。もちろん取り札も不要です。歌仙絵のある読み札百枚だけを使って、各自順番にめくっていきますから、スピードを競うこともありません。おそらく「坊主めくり」は、歌を暗記していない(かるた取りに参加できない)小さな子供でも楽しく遊べるゲームとして考案されたのでしょう。これなら子供だけでなく、日本語をマスターしていない外国人でも、すぐに参加することができます。
ところでこの「坊主めくり」には、いくつかの謎があります。第1に、いつ誰が考案したのかわかっていません。一生懸命調べても、「坊主めくり」を引用している古い文献が見当たらないのです。それにもかかわらず、「江戸時代から遊ばれていた坊主めくり」(伊藤秀文『百人一首一〇〇人の生涯』所収)といった、やや無責任な発言がこれまでまかり通ってきました。
また「めくり」とあることから、賭博用の「めくりかるた」から派生したというまことしやかな説もあります。しかしながら江戸時代の資料が一切見つかっていない以上、明治以降に考案された遊び、と定義しておくのが無難でしょう。トランプや花札の影響を受けているとすると、それこそ比較的新しい遊びということになりそうです。
懸命に資料を探しているうちに、偶然「坊主めくり」に関係ありそうなものを見つけました。それは「坊主起し」です。今まで報告されていませんが、文献に「僧骨牌起(ぼうずおこし)」あるいは「坊主起し」として出ていたのです。「僧骨牌起」は、なんと坪内逍遥の『妹と背かがみ』(明治19年刊)の第3回「写しいだす新年の骨牌あそび」に出ていました。その割注にわざわざ「あそびの名」とあるので、当時もそんなに知られていなかったことがわかります。幸い安達吟光の挿絵が付いていました。それを見ると、取り札ではなく読み札(歌仙絵)が場に散らされていることから、「坊主めくり」のことと見て間違いないようです。
またこの小説では、大人の女性たちが「僧骨牌起」をしているので、必ずしも子供の遊びだったわけではなかったこともわかります(字の読めない女性も参加しています)。また登場人物のせりふの中に、「赤僧」とか「黒坊主」・「赤衣僧」、あるいは「台付」(畳)などとあるので、現在とは多少ルールやかるたの歌仙絵の色が違っていたようですが、それでも「坊主めくり」の異名と考えてよさそうです。
一方「坊主起こし」の方は、宮川春汀画「小供風俗」中の「坊主起し」(明治29年7月)の絵に添えられているタイトルです。こちらは子供の遊びとして紹介されています。読みは両方とも「ぼうずおこし」ですから、今のところ「僧骨牌起」が文献上「坊主めくり」の一番古い資料ということになります。なお『妹と背かがみ』では、続いて普通のかるた取りをやっていますから、当時は2つのかるた遊びが交互に行われていたことになります。もちろん競技用のかるたはまだ成立していないので、歌仙絵入りの変体仮名かるたで遊ばれていました。
「坊主めくり」第2の謎として、蝉丸の位置付けがあげられます。「坊主めくり」の基本は、絵札を姫(21枚)・坊主(12枚)・男(その他67枚)の3種類に分類していることです。その中で蝉丸の扱いが揺れています。「蝉丸」という呼称からすると、本来は隠遁者だったはずです。おそらく謡曲「蝉丸」から装束を含めて多大の影響を受けているのでしょう。そのため蝉丸は頭巾姿に描かれることが多いようです。これだと必ずしも坊主には見えません。ところが琵琶法師ということで、坊主として描かれている近代かるたが登場してきます。
試みに大石天狗堂のかるたを調べてみると、頭巾をかぶった姿に描かれていました。田村将軍堂のかるたも同様に頭巾姿でした。それに対して任天堂のかるたは、完全に坊主姿だったのです。同様に精文館のかるたも坊主姿でした。こうなると任天堂や精文館のかるたを使えば、蝉丸は坊主札にならざるをえません。蝉丸を坊主に加えると、坊主札は1枚増えて13枚となります。
念のために他の札も調べてみました。特に作者名に「入道」と付いている札が2枚あって、それがどう描かれているかを確認してみました。大石天狗堂や田村将軍堂の札は、普通の男性官人と同じように描かれていました。おそらくこれが蝉丸の頭巾姿を含めて、江戸時代以来の伝統的な描き方のようです。それに対して任天堂の札は、なんと2枚とも坊主姿になっていました。また精文館の札は、1枚が官人、1枚が坊主姿に描かれています。そのため任天堂のかるたで「坊主めくり」をやると、坊主札が3枚も多いので(計15枚)、坊主の出る確率がかなり高くなります。ご存じでしたか。
※所属・役職は掲載時のものです。