日本の暦について

2015/08/07

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

今回は古い日本の暦についてのお話です。みなさんは旧暦と新暦の違いがおわかりですか。そこで質問です。第一問、日本の旧暦は太陰暦だった、これは〇でしょうか×でしょうか。正解は×です。日本の旧暦は太陰太陽暦でした。これは月の満ち欠けを基本とした太陰暦によって生じる誤差を、閏月補入によって修正するものです。

では第二問、日本には古くから日本独自の暦があった、〇ですか×ですか。正解はこれも×です。日本では天文学的な算術が発達しなかったので、中国の暦を借用していました。平安時代には、遣唐使が授かってきた宣明暦(せんみょうれき)が使われていました。もちろん中国の都長安と日本の京都では緯度も経度もかなり違っているので、そのまま使うにはかなり無理があります(日食などはずれてしまいます)。

日本では、陰陽寮の暦博士が暦の管理を行っていました。毎年、宣明暦をもとに具注暦(ぐちゅうれき)という暦を作成し、それを貴族に配布するのです(私的な暦は作成禁止)。有名な藤原道長の日記『御堂関白記』も、藤原定家の日記『明月記』も、この具注暦に書き込まれた日記(備忘録)です。

こうして日本では、中国の宣明暦がずっと江戸時代まで、なんと800年以上も使い続けられていたのです。幸い江戸時代に算術が飛躍的に進歩しました。ここで第三問、日本で作られた最初の暦は貞享暦である、〇ですか×ですか。正解は〇です。貞享元年(1685年)にようやく日本にマッチした暦が作られました。岡田准一主演の映画「天地明察」は、その暦作成をテーマにしたものです。その後、宝暦暦や寛政暦、天保暦も作られています。

もともと中国の暦を使わせてもらうということは、日本が中国の属国(従属国)であることの表明でもありました。ところが、日本には属国という意識がほとんどなかったようです。その後、明治維新の文明開化の中で、遂にグレゴリウス暦(太陽暦)への移行が行われます。ここで第四問、日本が太陽暦に改暦したのは明治元年である、〇ですか×ですか。正解は×です。改暦が行われたのは明治5年12月3日でした。そしてその日が明治6年1月1日になったのです。ですから明治5年は1年が1ヶ月短いことになります。

この改暦によって、旧暦で行われていた年中行事も、新暦によって行われることになりました。しかし新暦と旧暦では約1カ月ずれていますから、現在でも違和感が拭い去られていません。それもあって、我が家には旧暦のカレンダーが掛けてあります。これだと満月がいつかすぐわかります。

暦のズレは最初の立春にも及んでいます。ここで第五問、正月と立春は一致している、〇ですか×ですか。正解は×です。旧暦だと正月前後に立春が来ていました。「年内立春」というのは、正月前に立春が来てしまうことです。在原元方はそのことを面白がって、

年の内に春は来にけりひととせをこぞとや言はん今年とや言はん

と歌っています。これは『古今集』の1番歌ですから、ただの戯れ歌ではありません。当時の人々は、1日も早い春の訪れを待ち望んでいたのでしょう。

それに連動して、節分も様変わりしています。もともと節分は立春の前日(2月3日)に行われるものでした。ただし豆を撒いて邪気を祓うという行為は、「追儺」(ついな)から始まったとされています。こちらは正月前の大晦日の年中行事で、『源氏物語』にも「儺やらい」として描かれています。かつては正月前の行事だったものが、現在では2月になって行われているのです。その他にも新暦と旧暦のズレはたくさんあるので、是非確認してみて下さい。

 

※所属・役職は掲載時のものです。