清少納言の孟嘗君伝引用

2015/04/28

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

高校漢文の教科書に、「鶏鳴狗盗」という故事が出ていたことを覚えていますか。斉の国の孟嘗君が使いとして秦の国を訪れた際、昭王に捕らわれて殺されそうになったので逃げ出し、函谷関の関を鶏の鳴き真似で騙して通り、無事帰国したという有名な話です。これは『史記』所収の故事ですが、『十八史略』にも引用されています。

これが『枕草子』130段「頭弁の識にまゐりたまひて」の素材となったことから、日本でもかなり知られているようです。頭弁とは当代きっての才人・能筆家である藤原行成のことです。その行成が清少納言のもとで深夜まで話をしていたところ、突然行成は、

明日御物忌なるに籠るべければ、丑になりなばあしかりなむとてまゐりたまひぬ。

と言って宮中に参上しました。ここまでは問題ありません。その翌朝、行成から手紙が届いたのです。見ると、

今日は残りおほかる心地なむする。夜をとほして昔物語も聞え明かさむとせしを、鶏の声にもよほされてなむ。

と書かれていました。「鶏の声」というのは作り話です。昨夜は用事があったので帰ったはずですが、行成はそれを後朝の文のように仕立てて、相手の反応を見ようとしたのです。それを読んだ清少納言は、即座に返事を書きました。

いと夜深くはべりける鳥の声は、孟嘗君のにや。

後朝風の趣向は無視して、鶏の声に反応して漢籍(鶏鳴狗盗)を踏まえている点、いかにも清少納言らしいですね。「いと夜深くはべりける」というのは、丑の刻になる前に去った行成と、鶏の鳴き真似で関所が開く時間より前に通った孟嘗君の故事を重ねているからです。それによって行成の虚言を暴いているのです。行成も負けずに応戦します。

孟嘗君の鶏は函谷関をひらきて、三千の客わづかに去れりとあれども、これは逢坂の関なり。

もともと行成は孟嘗君の故事を踏まえているはずですが、ここではあくまで後朝風にこだわって、函谷関ではなく男女(私とあなた)が逢う逢坂の関のことですと答えました。すると清少納言はさらに、

夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ

と和歌で応酬します。「夜をこめて」は先の「夜をとほして」「夜深く」と似た表現です。その後に「聞え明かさむ」とあるので、具体的には翌日(午前3時)までの意味になります。それがもっとも後朝らしいですね。

それでもよさそうですが、孟嘗君の故事に注目すると、本来開くべき時間より早く関所を通っているのですから、「翌日になる前に」という訳の方がわかりやすいかもしれません。ここで一番大きな問題は、清少納言と行成の人間関係をどう見るかでした。これを真面目に受け取って、言い寄ってきた行成を清少納言が拒否したと読んではいませんか。もしそうなら、その読みが解釈を狂わせているのです。

『枕草子』に書かれていることは、決してプライベートな話ではありません。行成との一件にしても、二人の外側には大勢の見物客がいました。ですからこれは私的な恋愛などではなく、後宮における大勢を巻き込んだ恋愛ゲームの一齣だったのです。そう考えると、従来とはまったく異なる読みも浮上します。

宮中の人気者である行成から後朝風のやり取りを仕掛けられた清少納言は、もちろん大人の対応をしたことでしょう。そのことを理解して孟嘗君の故事を素直に引用すると、逢瀬を許さないという解釈の反対、その時間でもないのに鶏の鳴き真似に騙されて、あなたを早く帰したりはしません、という理解も可能になります。これは非常に名誉なことだったからです。特に行成自筆の手紙は、内容よりも自筆であることに価値がありました。その自筆の手紙を何枚も貰っているのですから、これは自慢話以外の何物でもありません。

ついでながら鶏の声というのは、男女の逢瀬に機能するものではありませんでした。むしろ男の帰りを促すものです。そう考えると、鳥の鳴き真似で騙そうとしても決して逢いませんというのでは、理屈にあわないはずです。ここは実際の恋愛ではなく、大勢の人が聞き耳を立てている中で、見事に大人の恋愛ゲームで相手をやりこめた、清少納言の手柄話として読むべきではないでしょうか。ですから当の行成にしても、清少納言を褒めているのです。

 

※所属・役職は掲載時のものです。