「黄葉」から「紅葉」へ

2014/11/21

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

ちょうど京都は紅葉シーズン真最中なので、紅葉にちなむことをお話します。百人一首は秋を重視している歌集ですが、小倉山荘のある嵯峨野が紅葉の名所ということもあって、紅葉の歌が6首も含まれています。

その中の1首、猿丸大夫の「奥山に」歌はご存知ですよね。新聞では作者不詳についてお話しましたが、ここでは紅葉についての問題を取り上げます。というのも、出典である『古今集』の部立が秋上だからです。一般的に紅葉は秋下(晩秋)であり、秋上に配されることはありません。となるとこの歌は、必ずしも楓の紅葉を歌っているのではないことになります。

幸い「奥山に」歌は、菅原道真撰の『新撰万葉集』にも採られています。その漢字表記を参考にすると、「紅葉」ではなく「黄葉」になっているのです。もちろん道真は漢詩人なので、中国の「黄葉」の影響を受けている可能性もあります。漢詩では、葉零あるいは落葉(死)を意味する「黄葉」表記が圧倒的に多いからです。それをそのまま踏襲しているのかもしれません。

しかしながら『古今集』におけるこの歌の配列を見ると、「萩」の歌群の最初に位置していることがわかります。そうなると『古今集』では、中秋頃の萩の「黄葉」を詠んだ歌と解釈するのがもっともふさわしいことになります。鹿と萩の取り合わせは『万葉集』以来のものですから、決して珍妙ではありません。『和名抄』という辞書には、萩の異名として「鹿鳴草」と出ていることも参考になります。

ところが定家の『八代抄』(勅撰八代集から抜粋した秀歌撰)では、この歌が晩秋(秋下)に鳴く鹿のグループに配列替えされています。つまり定家は、鹿の鳴き声の物悲しさにひかれてか、季節を中秋から晩秋に推移させ、同時に色も萩の黄葉から楓の紅葉に模様替えしているのです。定家が書写した『古今集』(伊達本)でも、秋上であるにもかかわらず「紅葉」と表記が改められています。なお、萩の場合は落葉しませんから、鹿の踏み分け方も自ずから異なることになります。

ここに至って、『古今集』の意図した世界とは全く様相を異にしている、百人一首独自の世界が見えてきました。定家による色彩と季節の意図的な読み替え(作為)によって、猿丸歌はより一層秀歌として愛唱されるようになったと言えます。

 

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