「京都新聞連載に寄せて」
吉海 直人(日本語日本文学科 教授)
10月6日(月)から、京都新聞の朝刊で百人一首の連載を始めました。写真とかるたに合わせて、私の短いエッセイがこれから丸1年続きます。週1回に和歌2首ですから、ちょうど50回で百首完結することになります。ただし一般的な歌の鑑賞ではなく、私独自の視点から、一味違った話にしようと思っています。その宣伝を兼ねて、まずは百人一首という作品の特殊性についてお話しましょう。
百人一首という作品は、日本で一番親しまれている古典ではないでしょうか。かるたで遊んだことのある方も少なくないはずです。ただ百人一首があまりにも身近な存在であるために、かえって大事なことが見えにくくなっている恐れもあります。それが常識の落とし穴というものです。
たとえば百人一首について、秀歌を撰りすぐったアンソロジーだと思ってはいませんか。確かに昔から「秀歌撰」として享受されてきたのですが、ではそのことは何によって保証されているのでしょうか。昔からそう言われてきた、だから正しいに決まっているというのでしょうか。それとも撰者があの有名な藤原定家だから、そうに違いないというのでしょうか。
実のところ、百人一首を「秀歌撰」と認定する根拠は見当たりません。唯一、百人一首所収歌はすべて勅撰集撰入歌なので、勅撰集の権威によって保証されているということはできます。ただし勅撰集所収歌だからといって、イクオール秀歌という等式は簡単には成り立ちそうもありません。
そこで手っ取り早く、百人一首以前の「秀歌撰」と比較してみましょう。代表的な「秀歌撰」としては、「三十六歌仙」(藤原公任撰「三十六人撰」に基づく)と「時代不同歌合」(後鳥羽院撰)の2つがあげられます。実は2つとも歌人の配列に特徴があります。それは2人(2首)ずつ番い(歌合形式)になっていることです。歌合というのは、歌人が左右に配されその優劣を決する形式のことです。要するに「三十六歌仙」は18番歌合、「時代不同歌合」は50番歌合になっているのです。
それに対して百人一首は、1首目と2首目は天智・持統という親子天皇の対になっていますが、それは必ずしも歌の優劣を競わせる目的で並んでいるのではなさそうです。むしろ親子ということから、原則として年代順に配列されていることが読み取れます。
このように形式1つとっても、百人一首は従来の「秀歌撰」とは大きく異なっているのです。私はむしろ年代順に並んでいることから、百人一首は和歌で綴った平安朝歴史絵巻だと考えています。そういった目で書き進めていく予定です。
※所属・役職は掲載時のものです。