同志社女子大学新島八重研究会の活動を振り返って

2014/03/28

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

2013年の同志社は、「八重の桜」で明け暮れた年でした。校祖新島襄夫人である八重が、NHK大河ドラマの主人公に抜擢されたからです。それに先立ち、同志社では「八重桜プロジェクト」が立ち上げられました。女子大学では、独自に「新島八重研究会」を立ち上げています。メンバーは私を座長として、小山薫・大島中正・山田邦和・天野太郎先生の教員五人、学部学科を超えての人選です。これを総務部広報課の職員が全面的にバックアップしてくれました。

ことの起こりは2011年6月のNHKの大河ドラマ予告報道でした。それが大きな波紋を呼び、水面下でいろいろな模索が行われたのです。一昨年の手帳を見ると、11月16日(水)に第1回の研究会会合があったことが記されていました。それ以前にも打ち合わせなどは数回行われましたが、そこで正式に発足したことになります。

【具体的な研究活動】

研究会とはいっても、定期的に集まって研究発表や輪読などを行ったわけではありません。メンバーが二校地に別れているしみんな忙しいので、全員が集まることは容易ではなかったからです。取りあえずは、八重について正しく認識してもらうための啓蒙活動が目標でした。とはいえ当時の研究会のメンバーでさえ、八重のことを正しく語れる自信など誰にもありませんでした。それが正直なところです。ということで、まずはメンバー内で八重について自主的に勉強することから出発しました。

もちろん新しく八重の知識を蓄積するのには、かなりの時間と手間を要します。そのためできるだけ自分の専門を活かせる道を模索することになりました。NHKの放送は2013年からなので、後は時間との戦いです。幸い補正予算が付けられたので、2月に加賀学長を団長として会津若松視察を行いました。一面雪景色でしたが、市長をはじめとして行く先々で温かく迎えていただきました。4月には小山先生の紹介で、黒谷金戒光明寺の視察を行いました。ここでも貴重な資料を見せていただき、大変参考になりました。

【冊子の発行】

2012年度になると、より具体的な動きとなりました。メンバーの中では、私が一歩だけ先を歩んでいました。たまたま所蔵していた八重の懐古談を『同志社談叢』20号に紹介していたからです。そのために座長に指名されたのでしょう。だから率先して簡単な八重の伝記をまとめることにしました。改訂に改訂を重ねながら、どうにか形になったものを「新島八重の生涯」という小冊子に仕上げました。当初は学内向けのつもりでしたが、まだ類書が出回っていない時期だったので、かなりの部数が外部でも配布されました。これが啓蒙活動の第一弾です。

それとは別に、メンバーは各自の専門的な視点から、八重にまつわるコラムの執筆を行いました。私は専門の百人一首から切り込んでみました。先の伝記と集まったコラムを核として、それに助っ人の清水久美子・小崎真先生から特別寄稿をいただき、さらに関係写真や「新島八重ゆかりの地」などを加えて、2012年10月には『同志社の母新島八重』という瀟洒な本が完成しました。内容的には500円の定価を付けて販売しても売れそうな本ですが、予算の裏付けがあったので、気前よく無料で配布することになりました。これが啓蒙活動の第二弾です。

【講演など】

その頃になると、八重をテーマにした講演の依頼や、新聞社などからの問い合わせが広報課に寄せられるようになってきました。これも啓蒙活動の一環なので、可能な限り真摯に対応しました。同志社女子大学の中でも、毎年恒例の「同志社女子大学の集い」もホームカミングデーも八重一色になっていきます。それは史料室の講演会や今出川講座にまで広がりを見せ、また同窓会の支部会からも、ひっきりなしに八重の講演依頼が舞い込んできました。

幸い一年間の時間的余裕があったお陰で、メンバーは自分なりのテーマにそって、コラムや講演依頼に応えられるだけのものを貯えていました。最初は私一人でかなりの講演をこなさざるをえませんでしたが、一年後には各自が分担して、かなりの数をこなせるようにまでなりました。そういった研究会の活動は、同志社女子大学のサイトに逐次掲載されています。『同志社の母』刊行後もコラムの執筆は続行され、適宜サイトに掲載されています。私のコラムだけでもいつしか30を超えました。

また遊び心から八重検定の話が持ち上がり、「八重クイズ」という形で毎月10問ずつサイトに掲載されることになりました。すぐに100問に到達したので、それを冊子にまとめようということになり、2013年11月に小冊子が刊行されています。

【総括】

以上のように新島八重研究会は、短期間で予想を上回る成果をあげているといえます。もう少しだけ活躍の場が残されていますが、八重に向けての取り組みはそろそろ一区切りつけるところまで来ています。八重は同志社女子大学創設期の重要人物ということが明らかになったので、「八重の桜」の放映が終了した後も、きちんとした形で女子大学の歴史に組み込まれ、これからの女子学生の人生の指針として活用されるはずです。

「八重の桜」によって、同志社のことは全国的に知れ渡りました。しかし喜んでばかりもいられません。「八重の桜」は外部むけだけではなく、同志社の教職員に向けてのメッセージでもあると思うからです。ドラマですが、校祖新島襄がどんな思いで同志社を設立し、大学設立の志なかばで亡くなっていったのか、それを現在どのように受け継いでいるのか、あらためて問い直すいい機会となりました。新島八重研究会で啓蒙活動を行ってきた私ですが、今突き付けられているのは、同志社女子大学の教員としてどうあるべきかという厳しい問いです。

あらためてこういう機会を与えてくれたNHKの大河ドラマ制作に感謝したいと思います。

 

※所属・役職は掲載時のものです。