「Jesus Loves Me」(主われを愛す)をめぐって

2013/10/21

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

「八重の桜」も後半京都編に入り、いよいよオダギリジョー演じる新島襄の活躍が見られるようになりました。最初はなんて軟弱な新島襄だと不満も抱いていたのですが、次第にオダギリジョーが新島襄そのものに見えてきました。

さて新島襄が初めて八重と会った直後、なかば強引に女紅場の見学に行きましたね。あれは虚構ではなく『新島八重子回想録』に、

数日後、襄は女紅場に参りましたが、その時、私どもは、英人の教師から、まだリーダーを一寸教えられたばかりなのに、もうリキンスを習って居りましたので、襄は、「よくそんなむつかしい本を習っているな」と言って驚いて居りました。      

(46頁)

とあるのと合致します。ドラマではその後、襄が教室で生徒達をリードして讃美歌を歌っていましたね。もちろん英語でしたが、曲は「Jesus Loves Me」日本では「主われを愛す」として知られている覚えやすい曲です。

ただし襄や八重のことを調べても、「Jesus Loves Me」を歌ったという記録は見出せません。これは脚本家の創作だと思われます。問題は襄が音痴だったらしいということです。そのことは八重が1924年1月に開催された襄の記念会の席上で、襄の思い出として「元来音楽的耳を持合はさないものですから」と語っています。またかつて大津の漢学塾で伝道を行った際、襄が率先して讃美歌25番を歌ったらしいのですが、

恰(あたか)も詩吟のやうで、上原(方立)さんがおかしさに堪へ兼ねて、御自分の臑(すね)を一生懸命で捻(ひね)られ、笑ひを止めんとせられた。

と詩吟のように聞こえたとあります。これには後日譚もあります。

襄が教会で唱(うた)ひます時も相変らずで、いつか私が注意しますと、襄は、「神に向って讃美してをるのだ。人に向かって唱っているのではない」と平気で語りました。 

(『追悼集Ⅱ』293頁)

八重がたまりかねて襄に注意したところ、襄は堂々と「神に向って讃美している」と言い訳したとのことです。こういった八重の証言があるので、私はドラマで襄が歌うとドキドキするのです。

これが一回きりならいいのですが、「Jesus Loves Me」はその後の展開の伏線となっているようで、しばしば耳にします。たとえば八重が井戸の上に板を渡し、その上で涼しげに裁縫する有名なシーン。そこで八重は鼻歌のように「Jesus Loves Me」を歌っていました。また唐突に襄が八重にプロポーズする直前のシーンでも、八重は襄を励ますために「Jesus Loves Me、 The Bible tells me so」と讃美歌の一節を口にしています。

さらに八重がオルガンを弾くシーンがありました。その後ろで襄が歌っていたのですが、やはり「Jesus Loves Me」でした。八重は女紅場で初めてこの曲を聞いたのでしょうが、それが八重の心に深く刻まれ、繰り返し演奏される中で、次第に二人を結びつけているように思えます。「Jesus Loves Me」は、ドラマの展開における見えないキーワードではないでしょうか。

余談ですが、私は「Jesus Loves Me」を聞いた時、直感的にどこかで聞いたことがある曲だなと思いました。よく考えてみると「シャボン玉」という日本の曲に似ているのです。こちらは中山晋平の作曲(野口雨情作詞)ですが、みなさんは似ていると思いませんか。ひょっとすると中山晋平は「Jesus Loves Me」を念頭に置いて、それを見事に別の曲に仕立て直しているのではないでしょうか。「八重の桜」を見ながら、そんな妄想に取り憑かれています。

 


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