襄の蕎麦好き(八重の証言)

2013/09/06

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

新島襄の食い道楽は夙に有名でした。ただし酒が嫌いなだけに、舌が肥えているかどうかは疑問です。特に甘い物と蕎麦が好きとあっては、美食というより偏食に近いかもしれません。特に蕎麦に対しては執着が強かったようで、いくつかのエピソードが伝えられています。

若い頃の話としては、『新島襄全集3書簡編Ⅰ』所収の文久2年12月5日の新島民治宛書簡に、その片鱗が見えています。

無拠(よんどころなく)須磨辺へ掛り候故上陸仕、敦盛之墓へ参詣仕、敦盛蕎麦を試候処、暫(しばら)くそばにあり付不申候故か至極宜(よろ)しく六杯程も喰籠(くいこもり)、其より早速船に罷(まかり)帰り候。

襄が船から須磨へ上陸した折、久しぶりの蕎麦ということもあって、なんと敦盛蕎麦を6杯も食べたと父親に書き送っています。これでは味わって食べているとは言えませんね。

その後、襄はアメリカへ渡航するわけですが、その間10年近くは大好きな蕎麦を食べることはできませんでした。ですから日本に帰国した後、どこかで腹一杯蕎麦を食べたと思われますが、それに関しての記録は見つかっていません。

次に襄の蕎麦好きが披露されるのは、徳富蘇峰等と旅した信州寝覚の床における蕎麦食い競争です。その折のことは、当事者である蘇峰が『蘇峰自伝』に次のように記しています。

先生は食物には頗(すこぶ)る趣味があった。特に蕎麦となれば命さへ打込む程であった。偶々(たまたま)寝覚めの床にて、予と先生と名物蕎麦の賭食ひをした。予はなかなか先生に敵すべくもなかったが、一生懸命にて先生が九杯の時に、更に半杯を加へた為に予の勝となって、蕎麦代を先生に払はしめた。併(しか)し軽井沢の追分に於て、再び試みた時には、双方共競争の益なきを悟って、互に大抵の所にて切上げて、勝負はつけなかった。

蘇峰も襄の蕎麦好きを承知していたようですが、「命さへ打込む程」というのはすごい表現です。そして蘇峰はやや謙遜気味に、大食い競争に勝利して襄に蕎麦代を払わせたことを記しています。さらに軽井沢の追分でも、再度蕎麦食い競争が行われたようですが、その時は自粛して勝敗を決しなかったという後日譚まで語られています。

この競争のことは八重には内緒にされていたようですが、後になって八重の耳にも入ったらしく、懐古談「家庭の人としての新島襄先生の平生」(婦人世界4─13・明治44年1月)に、「お蕎麦を十二食べた秘密」という見出しで、面白おかしく紹介されています。

襄の一番好きなものは、お蕎麦でございました。いつか国民新聞社長の徳富蘇峰さんと、横井時雄さんと、湯浅治郎さんと御一緒に、中山道へ旅行して、信州の寝覚の里へまゐりました時、皆さんで大層お蕎麦を召上ったさうですが、これはお互に秘密を守って、決して口外してはならぬといふお約束であったさうでございます。ところが、後に聞いてみますと、その時、襄はお蕎麦を十二、徳富さんは十一召上がったといふことで、私も驚いてしまひました。

二つの話を比較すると、蘇峰は襄が9杯で自分が9杯半としているのに対して、八重は蘇峰が11杯で襄が12杯としています。ここでは勝者も食べた蕎麦の数も蘇峰の証言とは違っていますね。あるいは襄は、やや誇張して(自分が勝ったように)八重に告白したのかもしれません。いずれにしても襄は蕎麦好きという以上に、大食漢であったことが読み取れます。

八重の懐古談には続きがありました。

お蕎麦については、まだ面白いお話がございます。明治十三四年頃、襄が東京へ出ました時、今の青山の東宮御所の近所の知人を訪問しての帰途、夜おそくなって非常に寒いので、とある御膳蕎麦屋へ入りましたさうです。人に見られてはと思って、外套の襟を立ててお蕎麦を食べてをりますと、同じく傍でお蕎麦を食べてをりました書生が、「先生」と呼びかけましたさうです。襄は、不意に驚いて、容(かたち)を正して「何方(どなた)です」といふと、書生がいふには、「私は先日、霊南坂教会で先生の説教を聞きましたものです」と申されたので、愈(いよい)よ驚いて、そこそこに蕎麦屋を飛び出し、あんな困ったことはなかったと、あとで大笑をいたしたことがございます。

これは東京の蕎麦屋でのできごとです。蕎麦を食べるのに、誰に遠慮する必要もないと思いますが、襄は何か悪いことでもしているような、後ろめたい気持で蕎麦屋に入っています。偉くなると、好きな蕎麦を食べるのも人目を気にしなければならないのでしょうか。

八重の話はまだ終わりません。「酒は大嫌ひ煙草は大好き」という見出しの最初にも、

平生(へいぜい)は洋食ばかりいただいてをりましたが、少し気分が悪いといふ時は「それではお蕎麦を取りませう」といふと、大抵元気になるくらゐ、お蕎麦は大好物でございました。

と語っています。まるで子供みたいですね。アメリカ至上主義の襄であり、普段は洋食(肉料理)を食べていましたが、蕎麦好きだけは終生変わらなかったようです。八重はそのことを、襄の思い出として懐かしく思い出しているのでしょう。

 

※所属・役職は掲載時のものです。