花札(花かるた)の絶滅を惜しむ

2013/07/02

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

「カルタ」は、プレイングカード(いわゆるトランプ)のポルトガル語です。室町時代に「種子島」(火縄銃)や「カステラ」などと同様、日本にもたらされた輸入品の1つなのです。それが「天正カルタ」として国産化されたことで、全国に広まりました。ただし賭博に利用されたことから、早くから取り締まりの対象となっています。役人の目をくぐり抜けようとして、変種の「ウンスンカルタ」などが考案されています。

ところでトランプの基本は、図柄と数字にあります。文字は一切使用されていないので、言語を異にする国でも容易に遊ぶことができるのです。日本化された賭博用の「読みカルタ」や「めくりカルタ」も、基本的にはトランプを踏襲したものでした。ところが花札は、図柄を大幅に変更したのみならず、最も大事な数字をあえて消去するという快挙に出たのです。数字のないトランプは、世界的に見ても珍しいと思います。

これは四季に富む日本ならではのアイデアでした。もちろん古くから花鳥を描いた「貝覆い」(貝合せ)が存在していたし、絵合わせ形式の「花鳥合せ」というモデルもありました。それらを巧妙に取り込みつつ、1から12までの数字(当時は48枚揃い)を1月から12月までの代表的な植物に置き換えたのです。ですから花札は、一種の歳時記と言えるかも知れません(英語では「フラワーカード」?)。

かつて「武蔵野」と称された初期の花札など、札に和歌を書き込むことで、いかにも「歌かるた」の一種のように仕立ててあります。それによって取り締まりの目を逃れようとしたのかもしれません。そういった背景を有する花札は、だからこそ変化に富んだ歴史を有しているのです。花札は世界的なカルタ研究においても貴重な資料であり、間違いなく日本固有の文化と言えます。

ところが第二次世界大戦後、富司純子(緋牡丹お竜)や梅宮辰夫・野川由美子などが主演した任侠映画の中で、花札が賭博の小道具としてクローズアップされました。そのため学校の先生や教育委員会に目の敵にされ、トランプはいいが花札はダメ(悪い子の遊び)という奇妙な風潮が広まったのです。トランプも花札も同じ遊びであるし、トランプは今でもカジノで賭博に用いられているにもかかわらず、花札だけが不当に子どもの世界から締め出されてしまったのです。

そのため花札は売り場をなくし、遊びの継承までなくしてしまいました(最大手の任天堂もゲーム機に鞍替えしています)。もはや花札は、かるたの絶滅危惧種の代表となっているのです。かつては花札のコレクターも存在しましたが、古い実物を積極的に収集・保存している博物館・美術館は皆無に等しいのです。かろうじて大牟田に公立の三池かるた歴史資料館がありますが、花札の展示は今でも教育的配慮(排除)から熱心には行われていません。

面白いことにお隣の韓国では、名前こそ「花闘」に変更されているものの、今も普通に花札遊びが流通しています。このままだと遠からずして、花札は昔から韓国で遊ばれていた伝統的なゲーム、ということになりかねません。花札という日本の伝統文化が、このまま消えてしまうのは惜しい気がします。

 


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