「儲(もう)けの君」の意味

2013/05/06

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

高校で物理の教師をしている長男から、突然電話がありました。勤めている高校の古文の問題に、「儲けの君」の意味を問う設問があり、「皇太子」が正解となっているが、それでいいのかという唐突な質問でした。

問題文は、有名な『源氏物語』桐壺巻の一節です。光源氏誕生の後、弘徽殿(こきでん)腹の一の皇子(後の朱雀帝(すざくてい))のことを「疑ひなき儲けの君」と紹介している有名な箇所です。高校の古典の教科書に多く採用されているところなので、記憶されている読者も多いかと思います。この「儲けの君」について、ほとんどの教科書は「皇太子」と注して済ませています。市販の古語辞典を見ても「皇太子」とあるのですから、決して古典の出題が間違っているわけではありません。

ろくに『源氏物語』も読んだことのない畑違いの長男が、どうしてそんなことに引っかかったのかわかりませんが、ここに看過できない問題が潜んでいることも事実なのです。たとえ「儲けの君」=「皇太子」であっても、『源氏物語』の文脈として「皇太子」は明らかに誤りだからです。何故ならば、一の皇子はその時まだ立太子していないからです。「坊がね」(皇太子候補者)であったにせよ、立太子していない一の皇子を「皇太子」と呼ぶわけにはいきません。

というより、まだ立太子していないからこそ、帝に溺愛されている弟の光源氏の存在が不安材料になっているのです。本文に「坊にも、ようせずは、この皇子(光源氏)のゐたまふべきなめりと、一の皇子の女御(弘徽殿(こきでん))は思し疑へり」とあるのが、何よりの証拠です。もちろん、親王宣下も受けていない更衣腹の光源氏が立太子することなどありえないのですが。

そもそも「儲けの君」とは、「皇位継承予定者」という意味です。次の天皇となる予定の皇子ということで、必然的かつ具体的に「皇太子」と訳されるのでしょう。なるほど若菜上巻の「春宮かくておはしませば、いとかしこき末の世の儲けの君」云々という例は、確かに「春(東)宮」=「儲けの君」でした。しかしながら「儲けの君」は資格であって、「皇太子」という確固たる地位ではありません。つまり「皇太子」ではない「儲けの君」もありうるのです。だからこそ「疑ひなき儲けの君」(疑いもない世継ぎの君)という持って回った表現が用いられているのかもしれません。そうなるとこれは、分割してはいけない(訳せない)表現ということになります。

仮に「儲けの君」だけを「皇太子になる予定の人」と訳したら、それこそ大間違いです。「儲けの君」はあくまで次の天皇になる予定の人であって、決して「皇太子」になる予定の人ではないからです。後に突然明かされることですが、なんと桐壺帝には皇太子(六条御息所の夫)が決まっていました。それが廃太子となることで、ようやく一の皇子の立太子が可能となるのです。そういった描かれざる廃太子事件(政変)が、この奇妙な表現の裏に潜んでいたと深読みすることもできます。

どうやら桐壺巻は、まだ立太子もしていない一の皇子を、あえて「疑ひなき儲けの君」と表現することで、表面的には光源氏との立太子争いを装いながら、水面下ではもっと複雑な廃太子事件が進行していたようです。こういった表現にこだわることで、その背後に潜む事件を深読みするのも、間違いなく『源氏物語』の楽しみの一つでした。

 

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