「美徳以為飾」をめぐって(改訂版)

2012/12/04

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

今年の2月、会津若松の県立葵高等学校(旧会津女学校)を訪れ、八重直筆の書4点を見せていただきました。その書には八重の年齢が記されており、そのうちの3点が「84歳」で、残りの1点が「86歳」と記されていました。つまり昭和3年に書かれたものが3点、昭和5年の書が1点ということになります。

「84歳」の書の内の一点は額装になっており、横長の和紙に「美徳以為飾」と書かれていました。これは外面より内面を磨くことが大事だという意味です。普通は「美徳を以て飾りと為す」と読まれていますが、漢文の文法からすると、「以」の位置が気になります(「以美徳」とあるのが一般的)。そのため「美徳、以て飾りと為す」と読む人もいます。この文句の出典は、どうやら新約聖書ペトロの手紙1第3章3節から4節のようです。そこには、

あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。

とあります。「美徳」とはありませんが、内容はピッタリですね。

この書は他に同じものがないとされていたようですが、これを見た私は、あれどこかで見た覚えがあるとピンときました。それは「婦人世界」6―1(明治44年1月)に所収されている「家庭人としての新島襄先生の平生」という八重の懐古談の中でした。その末尾に付け足しのように、

いつか熊本の女学校から頼まれて書いた額に、「美徳を以て飾とせよ」と書いて送りましたが、これが襄の理想であつたらしく思はれます。

と記されていたのです。そうです、これは襄の書にあった文句なのです。私はたまたまその雑誌を入手し、その翻刻並びに紹介の原稿を書いたところだったので、まだ記憶に残っていたのです。

ここで2つのことを確認しておきましょう。1つは、八重はかつて襄がしたためた文句を、晩年になって自らもしたためているということです。これについては他にも事例があります。本井康博氏の『ハンサムに生きる』(204頁)には、「心和得天真」(心和すれば天真を得る)という文句を書いた襄と八重の書が並べて掲載されています。襄の書は同志社の遺品庫収蔵、八重の書は福島県立博物館所蔵(五十嵐竹雄旧蔵)とのことです。同様に「志在千里」(こころざし千里にあり)も二人が書いたものがありました。襄の書は熊本英学校旧蔵で、八重の書は高橋喜市旧蔵です。おそらくこういったことに対する関心が高まれば、というか八重の書に注目が集まれば、これからもっと多くの事例が発見・紹介されることでしょう。

ではどうして八重は、晩年になって襄の書と同じ文句を書いたのでしょうか。夫婦として一緒に生活していた時、よく2人の性格は正反対だったと言われていました。本井康博氏など、八重は肉食系女子で、襄は草食系男子にたとえています(『ハンサムに生きる』156頁)。それは極端すぎると思いますが、襄が亡くなった後、未亡人となった八重には、襄の語り部という大きな役割が要請されました。襄の妻として、しばしば襄の生前の思い出話を語っているうちに、八重は次第に襄と一体化していったのではないでしょうか。そのためかつて襄が書いたものを八重も、おそらく八重としてではなく襄になりきって書いたと考えることはできないでしょうか。

もう1つは読み方です。「婦人世界」を見ると、八重もしくは襄は、「為」という漢字を「なす」ではなく「せよ」と命令形で読んでいたことがわかります。せっかく八重の懐古談に読み方が記されているのですから、つべこべ言わずに「美徳を以て飾りとせよ」と読んではどうでしょうか。

ところで、襄が頼まれて書き送ったという「熊本の女学校」とは、一体どこの学校なのでしょうか。調べてみると、「熊本女学校」というキリスト教の学校が浮上しました。明治20年当初は「女学会」と称されていたようですが、明治21年には襄の教え子の一人である海老名弾正が校長をしていた熊本英学校の附属女学校となり、翌明治22年に「熊本女学校」として独立しています。

面白いことに襄は、英学校には「志在千里」を、女学校には「美徳以為飾」を書き送っているのです。要するに男子校と女子校で、それぞれにふさわしい文句を選んでいることになります。だからこそ八重も襄の精神を受け継いで、「美徳以為飾」を会津女学校に書き送っているのでしょう。

残念なことに、熊本女学校は2011年に開新学園(開新高等学校)に吸収合併されてしまい、その長い歴史を閉じて廃校となりました。現在、襄の書の行方を探していますが、所在不明のままです。可能ならば襄の書と八重の書を一緒に展示してみたいですね。なおこの文句は、襄が甥の公義に送った「佳人とは心の佳人なる意なり、表面上の佳人の意にあらず」にも通じています。襄は繰り返し内面の美しさを主張しているようです。八重自身も、会津高等女学校の修学旅行生に「本当の美人とは心の美しい人である」と訓話しています(「松操会誌」4)。そのことが「美徳以為飾」の揮毫につながっているのではないでしょうか。

 

※所属・役職は掲載時のものです。