インターネット上の誤情報―「武蔵野」歌の出典について―

2023/08/08

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

『土佐日記』の一月二十日条は、阿倍仲麻呂説話を引用していることで有名ですが、その末尾に「ある人の詠める歌」として、

都にて山の端に見し月なれど波より出でて波にこそ入れ

があげられています。この歌は『後撰集』に貫之の歌として、

都にて山のはに見し月なれど海より出でて海にこそ入れ(1355番)

と出ているので、「波」が「海」になってはいても、「ある人」は貫之の分身ということになりそうです(『土佐日記』の歌は原則、作者貫之作にされています)。

 この歌について試みにインターネットで検索したところ、すぐに興味深い記事に出会いました。それは、

この「都にて」の歌について、現行の土佐日記の注釈書では最大最備とされている萩谷朴著『土佐日記全注釈』は、稚拙な歌としているが、それはこの歌が『万葉集』の東歌「武蔵野は月のいるべき山もなし草よりいでて草にこそいれ」をふまえて作られていることを知らぬ者の暴言であろう。第一、当代随一の和歌の達者であったはずの貫之が、そんな稚拙な歌を詠むと考えるほうがどうかしている。

というものです。問題の発端は萩谷氏がこの歌を「稚拙」としたことにあるようですが、その反論にネットにおける危険性が露呈しています。なるほど『万葉集』にこの歌があれば、「草より出でて草にこそ入れ」という表現を踏まえて、「波より出でて波にこそ入れ」と詠んだことも首肯できます。その意味では非常に貴重な指摘だといえます。

ところでここに名のあがっている萩谷朴氏は、文献学的研究(注釈学)で知られる大学者です。その萩谷氏が『万葉集』の歌を知らなかったというのは考えにくいことです。となると逆に、『万葉集』にあるという歌の方を疑ってみるべきではないでしょうか。余談ですが、私は『万葉集』にあるという言い方では信用しないことにしています。自身で『万葉集』にあたって調べた人なら、調べたことがわかるように歌番号までつけるものだからです。それがないということは、必ずしも自身で調べておらず、他のネット情報を鵜呑みにしている可能性が高いのです。ここはまさにそれにぴったり当てはまりました。萩谷氏への不当な非難は、むしろ発言者の無知と怠慢によるものだったのです。

もちろん『万葉集』の東歌に「武蔵野」を詠んだ歌は五首ほど出ていますが、前述の、

武蔵野は月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ

という歌はありません。『万葉集』にない歌を萩谷氏が知らないのは当然ですよね。ということで、この歌を『万葉集』にあるとするものは、すべて誤情報の孫引きということになります(トンデモ説!)。ではどうしてそんな単純な誤りが横行しているのでしょうか。一つには自身で確認を怠ったこと。もう一つは、『万葉集』にあるという誤情報がかなり拡散していることがあげられそうです。

実はこの歌、そんなに古いものではありません。古歌でもなんでもなかったのです。幸い室町後期以降成立とされている『道閑花伝書』・『玉造物語』・『扇の草子』などに絵入りで描かれていることが、菊地仁氏によって報告されています(「草より出でて草にこそ入れ―〈武蔵野〉の意匠―」伝承文学研究56・平成19年5月)。これらが刺激となって、武蔵野の景が江戸時代に絵画として流行していったのでしょう。

なおこの歌が詠まれるのに参考にされたという歌として、『続古今集』にある源通方の、

武蔵野は月の入るべき嶺もなし尾花が末にかかる白雲(425番)

が指摘されています。確かに上句は「山」が「峰」になっているだけで一致していますね。もう一首、『新古今集』にある藤原良経の、

行く末は空も一つの武蔵野に草の原より出づる月影(422番)

も参考になりそうです。ここに月が草の原から出るとあるからです。この二首を合体させれば、月が草から出て草に沈むという歌ができます。

一体誰が詠んだのかわかりませんが、権威付けのために「古歌」とか「俗謡」として紹介されたことから誤解が生じ、いつしか『万葉集』の歌だの『続古今集』の歌だのと信じられていったのでしょう。こういった誤情報を一掃できないのがネットの欠陥だと思います。そのため美術館や博物館の解説にまで、この誤情報が入り込んでいます。騙された学芸員は一人や二人ではなさそうです。みなさんもネットの情報を検索する際には、それが本当かどうか確かめる作業を怠らないでください。それだけでかなりの誤情報が防げるはずです。

※所属・役職は掲載時のものです。