「かえる」の文化史

2023/05/08

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

両生類の「かえる」は、比較的人間の近くに棲息しているので、「鳥獣戯画」にも描かれています。では質問です。みなさんは「かえる」の異名(別称)をいくついえますか。方言でも古語でもかまいません。古語だと「かはづ(かわず)」ですね。既に『万葉集』に何首も詠まれています。それに対して「かへる」は『日本書紀』に、「蝦蟆を煮て上味とす」と出ています(食用)。ですから「かはづ」は歌語で、「かへる」は俗語ということになります。

『古今集』仮名序には、「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば」(17頁)とあるし、

かはづ鳴く井手の山吹散りにけり花の盛りにあはましものを(125番)

とも歌われています。「山吹」と「かはづ」は井手(京田辺市の近く)の風物だったようです。そのためか『枕草子』や『源氏物語』に用例は見られません。

下って松尾芭蕉は歌語を意識して、

古池やかはづとびこむ水の音

と詠んでいるのでしょう。それとは対照的に小林一茶は、

痩せかへる負けるな一茶ここにあり

と庶民的に詠んでおり、和歌の呪縛から解放されているともいえます。

それだけではありません。『古事記』『日本書紀』には「たにぐく」という名の神様が登場していますが、それがやはり「かえる」のことでした。『万葉集』の長歌には、

天雲の向伏す極み谷ぐくのさ渡る極みきこしをす国のまほらぞ(800番憶良)

山彦の答へむ極み谷ぐくのさ渡る極み国形を見したまひて(971番高橋虫麻呂)

と「たにぐく」を詠んだ類型的な歌が二首出ています。もともと「くく」が蛙のことだと考えられます。

「かえる」の方言は案外たくさんあって、まず「がま・ひき」が知られています。これらは基本として「カエル、カワズ系」と、「ビキ、ヒキ、ビッキ系」に分類されています。前述のように「かえる」は共通語・俗語で、「かわず」は古語ですが、埼玉では今も「カワズ」が残っているようです。やや音韻変化した「ギャワズ」(北陸)もあります。

「かえる」からの変化としては、「カエロ・ゲエロ・ガエル・ゲーロ・カエルンボ」などもあります。その変形として、「カイル・カイロ・ガイロ」が静岡で使われています。さらに訛ると「ゲル・ゲロ・ゲーロ・ゲアール」(東北)になります(「ケロヨン」は着ぐるみのキャラ)。「キャール・キャーロ・キエーロ」は静岡の方言、「ガエロ」(越後・岐阜)「ギャール」(福井)、「ケエルメ」(栃木)とも変化しています。

このうち「ヒキ」は西日本限定ですが、「ビキ・ビッキ・ビキタ・ビキタン・ビキタロー」は九州から東北地方まで広く分布しているようです。「ドンビッキ」(長野)、「ゲロビッキ」(宮城)ともいうようです。九州ではそれが変化して「ビッキョ・バッキ・バックン・バク」になっています。「ビッキャ」は奄美大島です。また西日本では「オ」が付いた「オンビキ・オンバ」もあるようです。

北陸地方では、能登地方では「ガット、ギャット」といい、加賀地方では「ガワズ、ギャワズ」といい、白山市鳥越から小松市山間部や福井県嶺北地方では「ギャル」というそうです。加賀地方は「かわず」からの変化で、それ以外は「かえる」からガエル→ギャエル→ギャルと変化したものと考えられます。

この系列として、和歌山県の「ゴト、ガット、ゴトビキ」があげられます。最後の「ゴトビキ」は「ゴト」と「ヒキ」が合体したものでしょう(「カマドンク」とか「ヒキガエル」とかも同様です)

それとは別に、「モッケ」(青森・秋田)、「アンゴ」(千葉県房総)、「ワクド・パクド・ワック」(福岡・大分)もあります。「ドンク」は長崎、「ドンコ」は鹿児島方言です。「そこにふっとかドンクのおるばい」といわれて、すぐに理解できますか。草野心平の詩に登場している「パップクドン」もユーモラスですね。身近な生き物だけに、これほどの広がりがあるのです。

※所属・役職は掲載時のものです。