「茗荷」と物忘れ

2023/04/10

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

みなさんは「茗荷」はお好きでしょうか。私はあの独特の薫りがちょっと苦手です(薬味としてなら大丈夫です)。そこで「茗荷を食べると物忘れする」といわれているからといって、なるべく食べないようにしてきました。ところでこの俗説には二通りの意味があるようです。一つは普通に「茗荷を食べると物忘れする」で、もう一つは「茗荷を食べすぎると物忘れする」です。「食べる」か「食べすぎる」かのわずかな違いですが、食べるだけで物忘れするのか、それとも食べ過ぎがよくないといっているのかではかなり違いますね。みなさんはどちらで覚えていますか。

いずれにしても、茗荷にとってはうれしくないというか、迷惑な俗説ですね。では本当に茗荷を食べると物忘れするのでしょうか。あるいは茗荷には何かマイナスの成分が含まれているのでしょうか。どうやら今のところ、物忘れの科学的根拠は認められていないようです。それどころか栄養学的には、茗荷には集中力を増す成分が含まれているとされているくらいです。どうやらこの俗説は濡れ衣だったようです。では何故そんなことが言われるようになったのでしょうか。

そこで茗荷の歴史を遡ってみると、かなり古くから日本にあったことがわかりました。奈良時代の正倉院文書にも、その名が出ています。平安時代の『延喜式』大膳にも名前が記されていました。茗荷はショウガ科の植物ですが、かなり古くから日本で食されていたことがわかります。

ところが面白いことに、東アジア圏において茗荷を食べるのは日本だけだそうなのです。そうすると、中国などに出典は求められないことになります。たとえ外国から輸入されたものだとしても、茗荷の俗説は、茗荷を食べる日本でいわれるようになったものということになります。 

もう少し探ってみたところ、それらしき資料が見つかりました。それは安楽庵策伝という人がまとめた『醒酔笑』(江戸初期成立)という本です。ここに茗荷が二度も出ていました。

1 振舞の菜に茗荷のさしみありしを、人ありて小児にむかひ、これをば、古より今に至り、物読みおぼえむ事をたしなむほどの人は、みな鈍根草となづけ、物忘れするとてくはぬ。

2 あるとき児、茗荷のあへ物をひたもの食せらるる。中将見て、それは周利槃特が塚より生じて鈍根草といへば、学問など心掛くる人の、くふべき事にてはなし。

1にはズバリ「物忘れする」とありますね。ここでは子供に食べさせないための方便になっているようです。これこそが俗説の初出ということになりそうです。ただ「鈍根草」という名称に関しては、それより以前の「運歩色葉集」や虎明狂言集「鈍根草」にも見えますが、そこには単に食べると具鈍になるとあるだけで、物忘れするとはありません。ですからやはり『醒酔笑』が出典でよさそうです。

ついでに2には「周利槃特が塚より生じ」とあります。みなさんはこの意味がおわかりですか。周利槃特はお釈迦様の高弟として知られている人です。兄の摩訶槃徳は聡明な人でしたが、弟の周利は物覚えが悪く、自分の名前さえ忘れてしまうので、名前を書いた板を背負い、名前を聞かれたらそれを指さして見せたそうです。

その二人が揃ってお釈迦様の弟子になりました。兄から法門の一節を覚えるようにいわれた周利ですが、覚えられるはずもありません。そこで兄は弟に還俗するようにすすめました。兄に見放された弟が泣いていると、お釈迦様がやってきて何故泣いているかと尋ねました。そこで事情を話したところ、お釈迦様は「悲しむ必要はない。おまえは自分の愚かさを知っている。愚かさを知ることはもっとも悟りに近いのだ」といって慰めました。そして周利に一本の箒と「塵を払わん、垢を除かん」という短い法語を授けられ、毎日掃除するようにいったのです。

それから二十年、周利は毎日の掃除の中から「心の汚れ(煩悩・執着)」の存在に気づき、遂に阿羅漢の悟りを開いたのです。その周利の死後、彼の墓の周りから見慣れない草が生えてきました。その草に周利が自分の名前を覚えられず名前を書いた板を荷っていたことに因み「茗荷」(名を荷う)と命名されました。「周利槃特が塚より生じ」というのはこのことだったのです。それもあって、中国では茗荷が食されないのかもしれませんね。

ところでみなさんは、赤塚不二夫のギャグマンガ『天才バカボン』をご存じですよね。最初バカボンは「馬鹿なボンボン」のことだと思っていましたが、「バカボン」にはお釈迦様の別称「薄伽梵」も重ねられているようです。もう一つ、この漫画にはいつも箒で町を掃除しているレレレのおじさんも登場しています。セリフは「おでかけですか、レレレのレー」だけです。このレレレのおじさんこそは、周利槃特をモデルにしたキャラクターに思えてなりません。

 

※所属・役職は掲載時のものです。