「鬼」の話

2023/01/10

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

節分が近づくと、スーパーなどでは豆撒き用の炒った大豆が販売されますね。その豆に付録として鬼の面がついていることもあります。では鬼は一体どんな顔をしているのでしょうか。みなさんに鬼の顔を描いてもらうと、たいていは二本の角をはやし、牙のある赤い顔の鬼を描くのではないでしょうか。それに虎の毛皮のパンツをはき、金棒を持っていますよね。

これが赤鬼の典型的な姿ですが、中には青鬼もいるとか、角が一本の鬼もいるという意見が聞こえてきそうです。昔の五行説でいうと、色は赤・青・黄・黒・白の五色に分けられます。ここに緑はありません。緑は青に含まれるからです。というより、緑は仏教で五つの煩悩を表す「五蓋」が元になっているようです。赤・青・黄・緑・黒の五色にはそれぞれ性格もあるし役割分担も決まっています。赤は欲望で青は怒り・憎しみとされています。それが鬼の色に反映しているのです。

次に角の数ですが、本来は鬼門(丑寅)に因んで牛の二本角と虎皮のパンツが一般的でした。ところが色の変化とともに、角の数も流動的になっていったようで、いつしか一本角の鬼が描かれるようになりました。そのため一本と二本はどう違うのかといった疑問が生じるわけです。原則バラエティに富ませているだけで、根本的な違いはなさそうです。どうやら三本角の鬼までいたようです。

最近の子供は親泣かせで、赤鬼と青鬼が結婚したら子供は何色なのかとか、一本角の鬼と二本角の鬼が結婚したら、子供の鬼の角は何本かという質問をしてきます。みなさんだったらどう答えますか。中には紫色の子供が生まれると答えた人もいるようですが、そんな鬼は見たこともありません。というより赤鬼も青鬼もすべて想像上のものです。

ここで原点に戻ってみましょう。実は「オニ」という言葉の語源は「穏」とされています。『和名類聚抄』という辞書には、「鬼和名於爾、鬼物穏而不欲顕形」とあって、元来は目に見えないもの、形のないもの、この世のものならざるものという意味でした。特に中国では死者の魂(死霊・物の気)のことを「オニ」と称していたのです。それが徐々に意味を拡大する中で、形あるものへと様変わりしていきました。

もう一つ、中国では方相氏という役がありました。四つ目の四角い仮面をつけて棒を持った方相氏が、目に見えない鬼を追い払うのです。それが「追儺ついな」であり「鬼やらい」だったのです。ところがその方相氏が、日本では徐々に鬼と一体化し、いつしか赤鬼の原形になったとされています。退治する側が退治される側に変移したのです。

また酒呑童子の鬼退治の絵巻以降、鬼が絵画化されるようになっていきました。近代になると「桃太郎」の絵本でも様々な鬼が描かれています。また「瘤取り爺さん」には赤鬼・青鬼が登場しています。その他、NHKテレビの「おじゃる丸」には、子鬼としてアオベエ・アカネ・キスケが活躍していますね。こうしてどんどん鬼が視覚化され、性格も多様化していきました。もはや鬼は目に見えないものという説明では、誰も納得してくれそうもありません。

なお、ことわざに「鬼に金棒」とありますが、古くは「金棒」ではなく「金(鉄)撮棒さいぼう」でした。15世紀成立の『あろ合戦物語』が初出だとされています。それに対して「鬼に金棒」は『毛吹草』(1645年刊)が初出とされています。要するに「金撮棒」が「金棒」に略されたことになります。もともとは邪鬼や穢れを払う呪力を持った棒で、方相氏が鬼を追い払うための道具でした。それがいつしか鬼の武器になってしまったのです。

「鬼の目にも涙」というのは比喩表現で、冷酷無比な鬼のような人でも、時には情けにほだされて涙を流すこともあるということわざです。他に「鬼の念仏」もあります(大津絵の題材)。他にも鬼にまつわることわざとして、「鬼のいぬ間に洗濯」「鬼も十八番茶も出花」「渡る世間に鬼はなし」「鬼の首を取ったよう」「来年のことをいえば鬼が笑う」「鬼の霍乱かくらん」「疑心暗鬼」「親に似ぬ子は鬼子」「鬼神に横道おうどうなし」などたくさんありますね。

かつては恐い存在だった鬼ですが、徐々に人間化しており、『泣いた赤鬼』まで登場しています。auのコマーシャル「三太郎シリーズ」の鬼は、案外人気者になっているようです。

※所属・役職は掲載時のものです。