仙台銘菓「萩の月」
吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)
みなさんは仙台銘菓「萩の月」をご存知ですか。私がこれを初めて口にしたのは、今からもう40年以上も前(20代後半)だったかと思います。「萩の月」ができたのは昭和54年なので、比較的早く食べたことになりそうです。
確か仙台で国文学の学会があって、それに参加した際のことです。せっかくだからと名物の牛たんや笹かまぼこを食べましたが、「萩の月」のことはあまりよく知らないまま、たまたま口にしました。カステラとシュークリームを合体させたようなもので、半信半疑で口にしたところ、なんともいえずおいしかった(甘かった)ことを今でも覚えています。それ以後、同じようにカステラ生地にカスタードクリームの入ったお菓子(類似品)が何十種も登場しましたが、「萩の月」ほど記憶にとどまっているものは他にありません。
そのネーミングについて、萩市がある山口県の人の中には、何で仙台なのに「萩」なのかと疑問を口にする人もいるようです。これについては『古今集』の中に、
宮城野のもとあらの小萩つゆを重み風をまつごと君をこそまて(694番)
という歌があって、「宮城野の小萩」は陸奥国(現在の宮城県)の歌枕として古くから有名だったことがあげられます(山口県よりずっと古くから関係があったのです)。
仙台と「萩」の結びつきはそれだけではありません。歌舞伎の「伽羅先代萩」という演目にも継承されています。これは仙台藩で起きた伊達家のお家騒動を背景にしたものですが、ここでも「萩」が用いられています(「先代」と「仙台」は掛詞)。そういった伝統の上に、「萩」が仙台のキーワードとして浮上したのでしょう。当然、宮城県の県花はミヤギノハギですし、仙台市の市花も「ハギ」でした。
では「萩の月」の「月」はどうでしょうか。もともと和歌の世界では、「萩」と「月」が一緒に歌われています。ただし「萩」は『万葉集』以来、「鹿」と一緒に歌われることが多い植物でした。それに比べると「月」の歌はそんなに多くありません。古い歌としては「三十六歌仙」の一人である伊勢が、
萩の月ひとへに飽かぬものなれば涙をこめて宿してぞみる(伊勢集)
という歌を詠んでいます。いくら見ていたいといっても、涙に月を宿して見るという発想はすごすぎます。
下って『新古今集』には藤原良経の、
故郷の本あらの小萩咲きしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ(393番)
があげられます。また藤原定家も、
秋といへば空すむ月を契りおきて光まちとる萩の下露(拾遺愚草)
と歌っています。ただし「萩」の開花時期は「満月」以前までのようで、源実朝は、
萩の花暮れ暮れまでもありつるが月出でて見るになきがはかなさ(金槐和歌集)
とそのずれを詠じています。
下って芭蕉は『奥の細道』で、
一つ家に遊女も寝たり萩と月
という俳句を作っています。もっともこれらは決して仙台で詠まれたものではありませんが、こういった広い古典の世界を背景として、「萩の月」と命名されたのでしょう。
ということで、商品名は萩が咲き乱れる宮城野の空に浮かぶ月をイメージしていることになります(形は満月ですね)。発売当初、東亜国内航空の仙台・福岡便の就航に合わせて、機内で食べる菓子として採用されました。もともとあまり日持ちしない生菓子ですが、業界で初めて脱酸素剤(エージレス)を使うことで、賞味期限の延長を可能にしたことも特記すべきことでしょう。
もう一つ、「萩の月」が大ブレイクしたきっかけは、なんとユーミンこと松任谷由実が、当時担当していたラジオ番組で取り上げ、「萩の月を冷凍庫で凍らせて半解凍の状態で食べるのが好き」と紹介したことでした。メーカー(菓匠三全)にしても、まさか半解凍の状態で食べることなど考えてもいなかったようです。
しかしこれが電波を通して全国に流れると、試してみようと思った人が「萩の月」を求めたことで、売り上げが伸びたというわけです。今では押しも押されもせぬ仙台銘菓ですね。今度私もそうやって食べてみることにします。
※所属・役職は掲載時のものです。