句読点付きの短歌

2022/04/25

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

歌人・岡野弘彦氏が平成18年に出した歌集『バグダッド燃ゆ』(砂子屋書房)は、二つの意味で話題になりました。一つは、自らの戦争体験とイラク戦争を重ね合わせ、戦争に対する怒りを歌に込めて詠じている点です。もう一つは、短歌にあえて句読点を付けている点です。これには評論家の外山滋比古氏(令和2年死去)がすぐに反応しました。インターネットにあげられた新連載コラム「日本語の個性」の最終回「句読法」で、外山氏は次のように述べています。

今評判の歌集、岡野弘彦氏『バグダッド燃ゆ』を見ると、ところどころ、歌中に句読点がついているから目を見張る。これまで短詩系文学は和歌、短歌、俳句、川柳を問わず、テンとマルは無関係であった。おどろいて、作者ご本人に理由をきいたところ、このごろの若い人は相当の教養があるはずなのに、区切りを間違える。そういうことがないように、句読点をつけた、ということであった。それならまさに句読法本来の使用である。おどろいたりする方が間違っている。

外山氏は『省略の文学』や『修辞的残像』の著者なので、句読点の付いた短歌には本当に驚いたのでしょう。それはさておき、この文章を読んで、みなさんはどのような感想を抱きますか。なるほど、短詩系文学に点と丸は使わないなと納得されますか。もしそうなら、外山氏のみならず同意したみなさんも勉強不足といわざるをえません。というのも、句読点は岡野氏が初めて短歌に用いたのではなく、それよりずっと以前からしばしば使用されていたからです。

そもそも岡野氏の一番身近だった人、岡野氏の短歌と学問の師匠である折口信夫(釈超空)からして、短歌に句読点を付けたことで有名な歌人でした。代表歌とされている、

葛の花踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり

にしても、はっきり点と丸が付いているのですから、それを弟子の岡野氏が知らなかったとは考えにくいですよね。しかも折口の歌集『海山のあひだ』(改造社)のあとがきには、

「わかれば、句讀はいらない」などと考へてゐるのは國語表示法は素(もと)より、自己表現の為に悲しまねばならぬ。

云々と、句読点の必要性が説かれているのです。師匠が積極的に句読点を活用しているのですから、弟子の岡野氏がそれを踏襲しないはずはありません。

となると、外山氏は岡野氏にはぐらかされたことになりそうです。というより、短歌に句読点が用いられていたことに気づかなかったのは、外山氏にとっては痛恨のミスではないでしょうか。あるいは岡野氏は、外山氏に恥をかかせないように答えたのかもしれません。仮に外山氏が折口信夫の句読点使用を知らなかったとしても、もっと有名な歌人の例が思い浮かんで当然だからです。

石川啄木の歌集『悲しき玩具』(東雲堂)を見れば、至る所に使われている句読点がいやでも目につくに違いありません。冒頭の歌からして、

呼吸すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音!

と表記されています。啄木の歌には句読点だけでなく、感嘆符や括弧・ダッシュまで付けられています。これは当時もかなり評判になっていました。何故外山氏は、そのことに思い至らなかったのでしょうか。

その啄木に影響を与えたとされるのが土岐善麿(哀果)です。彼の歌集『黄昏に』にも、句読点の付いた歌が収められています。代表作として、

りんてん機、今こそ響け。
うれしくも、
東京版に、雪のふりいづ。

をあげておきます。三行書きという形式まで共通していますね。実は『悲しき玩具』は、啄木の没後に哀果が編集して出したものなので、啄木の意図を超えて句読点が施されている可能性も否めません。

もっと古い例もあります。大御所・与謝野鉄幹が、明治29年に刊行した詩歌集『東西南北』(明治書院)に載せている、

花ひとつ、緑の葉より、萌え出でぬ。
戀しりそむる、人に見せばや。

がそれです。鉄幹の場合は、新体詩の延長としての使用としても考えられます。さらには小説家の山田美妙も明治22年に、

ふたゝびは似る音もなし、ものゝふの
やしまのうらは名のみなりけり。

という歌を詠んでいます。その他、佐佐木信綱の歌集『新月』(博文館)の中にも、

虻(あぶ)は飛ぶ、遠いかづちの音ひびく真昼の窓の凌霄花(のうぜんかづら)

と、読点を打った歌が掲載されていました。

以上、句読点の付いた短歌の例をいささかあげてみました。明治・大正期に有名な歌人たちが句読点を用いているのですから、外山氏の発言は修正されてしかるべきでしょう。こういった意図的な句読点の使用は、あるいは伝統的な短歌を近代詩の世界へ誘おうとする新たな試みだったのかもしれません。

 

※所属・役職は掲載時のものです。