童謡『蝶々』誕生秘話

2022/02/28

吉海直人(日本語日本文学科特任教授)

 

小学唱歌として著名な『蝶々』はもちろんご存じですよね。ではこの原曲が日本ではなく、外国由来であることは知っていましたか。かつてはスペイン民謡だとされていましたが、その根拠が見当たりませんでした。最近ようやくドイツの曲だとわかったようです。ですから平成以降は、出典がドイツ民謡に変更されています。

この曲はメロディが単純なので歌いやすく、そのためいろんな歌詞(替え歌)が付けられています。本場ドイツでは『幼いハンス』や『五月はすべて新しい』として、イギリスでは『笑う五月』、アメリカでは『ボートの歌』として歌われていました。また讃美歌としても歌われていたことが報告されています。日本へは、アメリカ人のメーソンが音楽取調がかりの伊沢修二に紹介したことから広まったとされています。

その日本では、最初に『胡蝶』という曲名で愛知師範学校年報(明治8年2月26日)に掲載されました。それが明治15年4月に発行された『小学唱歌集』に「蝶々」として、

一 てふてふてふてふ菜の葉にとまれ なのはにあいたら桜にとまれ
さくらの花のさかゆる御代に とまれよあそべあそべよとまれ
 
二 おきよおきよねぐらのすずめ 朝日のひかりのさしこぬさきに
ねぐらをいでてこずゑにとまり あそべよすずめうたへよすずめ

と掲載されています。一番の歌詞を担当したのが野村秋足あきたりで、二番は稲垣千頴ちかいが作詞しています。なんと一番と二番で作詞者が違っていたのです。

さらに明治29年には、三番と四番の歌詞が追加されました。ただし誰が作詞したのかはわかっていません。

三 とんぼとんぼこちきてとまれ 垣根の秋草いまこそ盛り
さかりの萩に羽うち休め 止まれや止まれ休めや休め
 
四 つばめつばめ飛びこよつばめ 古巣を忘れず今年もここに
かへりし心なつかし嬉し とびこよつばめかへれやつばめ

もっとも一番の「てふてふ」(歴史仮名遣い)にしても、後半はみなさんが覚えている歌詞とは異なっていますよね。「さかゆる御代」は、桜の花盛りに天皇の御代の栄えを喩えたものでした。これが後に改訂されてお馴染みの、

ちょうちょちょうちょ 菜の葉にとまれ 菜の葉に飽いたら桜にとまれ
さくらの花の花から花へ とまれよ遊べ遊べよとまれ

になりました。昭和22年になると二番以下が省略されてしまい、ようやく完璧な『蝶々』の歌になりました。この歌詞について、国語学者の金田一春彦氏は、

歌詞の「菜の葉にとまれ」は、「菜の花にとまれ」とありたいところ。拍数の加減でこうなったが、卵を産みつけることを勧めるようでちょっとおかしい。また、菜の花に来る蝶は、桜の花にはとまるまいという意見もでた。(『日本の唱歌(上)』32頁)

ともっともらしい注文(コメント)をつけています。

確かに蝶は「菜の葉」ではなく「菜の花」にとまりますよね。ところが『蝶々』は「菜の葉にとまれ」という文句で、既に江戸時代から全国に広まっていたことがわかりました。というのも江戸時代のわらべ唄に、

蝶々ばっこ蝶々ばっこ菜の葉に止まれ 菜の葉に飽いたらこの手に止まれ

とあったからです。なお「ばっこ」は「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)」のもじり(語呂合わせ)のようでもあるし、「毛虫」の方言という説もあります。あるいは小さな蝶々なのかもしれません。

また『山家鳥虫歌』(明和9年)には、

蝶よ胡蝶よ菜の葉に止まれ とまりゃ名がたつ浮名たつ

という色っぽい俗謡が出ているし、『童謡古謡』(文政3年)には、

蝶々とまれ菜の葉に止まれ 菜の葉がいやなら手に止まれ

とあって、古くから「菜の葉」で通用していたことがわかりました。こうなると野村秋足は、一番の歌詞を創作したのではなく、わらべ歌をアレンジしただけだったといわざるをえません。そのため最近は、歌詞の作者は不詳とされています。金田一氏はこのことをご存じだったのでしょうか。

それはさておき、伊沢修二と野村秋足が二人とも愛知県師範学校に在職していたことから、この歌の楽譜は愛知県で最初に出版されました。さらに『弄鳩ろうきゅう秘抄』というわらべ唄集によると、「岡崎女郎衆」という俗曲の節に合わせて「蝶々ばっこ」を歌っていたとあります。これを総合すると、童謡『蝶々』は愛知県を発祥の地としてもよさそうですね。『蝶々』にもこんな歴史があったのです。

 

※所属・役職は掲載時のものです。