「おしるこ」と「ぜんざい」(芥川龍之介の好物)

2022/01/06

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

以前「関東と関西の違い」を書きましたが、そんな生易しいものではないことを思い知らされました。そこで改めて「おしることぜんざい」について考えてみましょう。

甘いものというか、あんこの入ったものとして、「おはぎとぼたもち」・「桜餅と道明寺」がありますね。「おはぎとぼたもち」の違いについては「彼岸の「おはぎ」と「ぼたもち」」(古典歳時記)でお話したように、必ずしも内容の相違ではなく、「おはぎ」が古風な女房詞で「ぼたもち」は庶民的な新しい言い方でした。

「桜餅」にも大きな違いがあって、関東では小麦粉の生地をクレープのような薄皮にして、中に餡をはさみます(台東区谷中にある長命寺の桜餅が起源)。一方関西は、道明寺粉で作った餅に餡を入れて包みます。これは一目で違いがわかります。ただし京都でも、鼓月の「さくら餅」は関東風です。また嵯峨野の琴きき茶屋では、あんの入っていない「桜餅」が有名です。塩漬けの桜の葉と一緒に食べるのが絶妙な味です。

一番ややこしいのが「おしるこ」と「ぜんざい」です。ここで注目すべきは、こしあんかつぶあんかと、汁気があるかないかです。関西の「おしるこ」はこしあんに決まっています。それに対して「ぜんざい」はつぶあんです。汁気の有無よりも、こしあんかつぶあんかの方が重要なのです。ただし「ぜんざい」の方が汁気は少ないようです。

大阪法善寺横丁にある夫婦善哉(めおとぜんざい)では、明治16年から130年以上も二椀一組の「夫婦ぜんざい」を提供してきました。法善寺に参詣した人が食べるということで、夫婦円満の祈願も込められています。これももちろん汁気のある「ぜんざい」でした。昭和15年にこの店を舞台とした小説『夫婦善哉』を織田作之助が発表し、昭和30年には森重久弥・淡島千景主演で映画化までされています。

一方の関東では、こしあんでもつぶあんでもかまいません。汁気の多いものが「おしるこ」で、汁気の少ないのが「ぜんざい」です。これはこれでわかりやすいですね。そのため関東の人が関西で「ぜんざい」を注文したのに、「おしるこ」が出てきたという話があるし、逆に関西の人が関東で「ぜんざい」を注文したら、汁気がなかったという話になりかねません。関西では汁気のあるつぶあんを「ぜんざい」と称しているのですから、大きな異文化体験ですよね。

もちろん関東でも、こしあんかつぶあんかを使い分けていることもあります。こしあんは「御前(御膳)しるこ」(関西しるこ)といい、それに対してつぶあんは「田舎しるこ」と称して区別しているそうです。では関西で汁気のないつぶあんのことは何といっているのでしょうか。それは「亀山」あるいは「金時」と称しているようです。この「亀山」とは、小豆の産地である丹波亀山の地名だそうです。また関東では、雑煮と同じく焼いた餅を入れますが、関西では餅ではなく白玉を入れるといわれています。あるいは「おしるこ」にいれるのが白玉で、「ぜんざい」に入れるのがお餅だともされています。

ところで「おしるこ」の起源ですが、江戸時代にあったすすり団子だとされています。ただしこれは和菓子ではなく、むしろ団子汁に近いものでした。当然小豆も甘くはなく、塩味だったようです。それに白砂糖をかけたものが、いつしか「おしるこ」に変化したのだそうです。一方「ぜんざい」の起源は、出雲大社で10月に行われる神在祭で振舞われていた「神在もちい」が、京都に伝わる間に「ぜんざい」に変化したとされています(出典は寛永頃成立の『祇園物語』)。もう一つの説として、一休禅師に小豆の汁に餅を入れたものを出したところ、「善哉此汁(よきかなこのしる)」といって喜んで食べたので、それ以来「ぜんざい」と称するようになったともいわれています。

ついでながら芥川龍之介は「しるこ」が大好きだったようで、「しるこ」というタイトルの文を書いています。そのことは久保田万太郎の「味の自由」に、

汁粉は「喰ふ」ものか、「飲む」ものか?、十年まへ、わたくしは、いまは亡き芥川龍之介と、熱心に、それについて検討した。

とあります。それだけではありません。小島政二郎の「食いしん坊」にも、

芥川さんはお汁粉が好きで、よく一緒に食べに行った。私が誘って喜ばれたのは、上野の常磐、柳橋の大和、芥川さんに誘われて行ったのが、日本橋の梅村、浅草の松村。中でも、芥川さんは常磐が大のお気に入りで、

と具体的に書かれていました。私としては、おしるこは飲むもので、ぜんざいは食べるものだと認識しています。みなさんはいかがですか。

 

※所属・役職は掲載時のものです。