「納豆」と「豆腐」について

2021/12/13

吉海直人(日本語日本文学科特任教授)

 

世界三大穀類といえば、「稲・麦・とうもろこし」です。ここに「大豆」は含まれていません。しかし「大豆」は貴重なたんぱく源であり、有益な健康食品でもあるので、日本では古くから食されてきました。そのまま煮て食べるだけでなく、青いうちに「枝豆」として食べてもおいしいし、種を発芽させれば「もやし」にもなります。また豆を粉にすると「きなこ」になります。さらに加工すると「豆腐・湯葉・豆乳」になるし、「味噌・醤油・納豆」といった発酵食品も作られています。便利な食べ物ですね。

「大豆」の起源はとても古く、既に縄文時代には中国から伝来して食されていたことが、各地の発掘調査によってわかっています。文献に登場するのは『古事記』『日本書紀』の神話で、『古事記』には素戔嗚尊が大気都比売神(おおげつひめのかみ)に食べ物を求めた話の中に、尻から「大豆」を出したとあります。また『日本書紀』では、保食神(うけもちのかみ)が食べ物を出して月読尊をもてなす話に、保食神の陰部から大豆が生まれたとあります(やや汚い話ですみません)。

飛鳥時代になると、仏教の伝来(中国僧の来日)に付随して、大豆の加工(発酵)方法も伝来しました。『大宝律令』には「醤」(未醤)の記載があるので、発酵させて「醤」を製造していたことがわかります。この記事こそは「味噌」や「醤油」の起源でした。

さてここから本題の「納豆」と「豆腐」に入ります。私がまだ幼かった頃、「納豆」と「豆腐」は名前が入れ替わっているという話が、まことしやかにささやかれていました。その根拠は、「豆腐」の「腐」がくさるという意味だから、むしろ「納豆」(発酵)にふさわしいということでした。

もっとも「腐」には、「ぶよぶよして柔らかい」あるいは「しろくてどろどろしたもの」という意味があるとするものもありますが、それは腐敗(発酵)した結果でしょうから、「豆腐」には当てはまりそうもありません。もともと「豆腐」も中国起源で、宋の『清異録』(九六五年)にあるのが初出とされています。あるいは中国の「豆腐」は日本のような生食と違って、発酵豆腐だったのかもしれません(「湯葉」にしても中国では「腐皮」と書きます)。

日本での初出は、奈良の春日大社の神主・中臣祐重が書いた日記の寿永二年(1183年)条で、そこに「唐府」という表記で登場しています。それもあって、元は「唐府」あるいは「豆富」という表記だったとすることもできそうです。なお「豆腐」の初出は、百年後の弘安三年(1280年)の日蓮上人の書状だそうです。

江戸時代までの「豆腐」は原則「木綿豆腐」だったようで、それを串に刺して焼いた味噌田楽が人気でした。この「豆腐」には「やっこ」という別称もあります(冷ややっこ)。また女房詞として「おかべ」(壁のようだから)ともいわれています。「絹ごし豆腐」は江戸の笹乃雪という老舗豆腐屋によって新しく作られたそうです。

一方、現在のような「納豆」は、日本で考案された食べ物とされています。平安時代の『新猿楽記』に「塩辛納豆」とあるのが初出のようです。この「納豆」は、精進料理として禅寺の納所(台所)で作られていたところから、自然に「納豆」と称されるようになったと『本朝食鑑』(1697年刊)にあります。京都の大徳寺納豆はこの類とされています。

今のような「糸引納豆」は遅れて室町時代に誕生したようで、御伽草子の『精進魚類物語』や『御湯殿上日記』享禄二年(1529年)十二月九日条に「糸引」とあるところから、公家の女房たちが食していたことがわかります。それが江戸時代になって全国に広まったのです。当時の「納豆」は藁に包まれていたので、「藁苞(わらづと)」とも称していました。

私の幼少の頃の「納豆」は、今のものより匂いがずっと強かったような記憶があります。その匂いを嫌って食べませんでした。というより、九州生まれの私の家の食卓に、「納豆」が並ぶことはほとんどありませんでした。どうやら関東(東日本)は「納豆」好き、関西(西日本)は「納豆」嫌いという分布があったようです。納豆の発祥地が京都なのに、関西であまり好まれなかったというのもおかしな話ですね。

ついでですが、「納豆の日」は語呂合わせで七月十日です。これは関西で納豆の売上を伸ばすために、関西納豆工業協同組合が1981年に制定した比較的新しい記念日でした。それを1992年に全国納豆工業協同組合連合会が承認・制定しています。

「豆腐の日」は遅れて1993年に、日本豆腐協会によって制定されました。これも語呂合わせで十月二日です。日本豆腐協会はちょっと欲張って、毎月十二日も「豆腐の日」としています。もっとも「豆腐」の場合は、その製造過程で別の商品として加工されることも少なくありません。例えば「湯葉」(古くは「うば」)や「豆乳」があげられます。「豆腐」を油で揚げた「油揚」は『日葡辞書』に出ているので、室町時代には作られていたことがわかります。また虎明本狂言「釣狐」には、狐の好物とされており、そこからお稲荷様に供えられることとの関連が察せられます。

 なお、現在大豆の生産量が多いのは、1位アメリカ・2位ブラジル・3位アルゼンチンです。この上位三国で世界中の八割の「大豆」が生産されています。ただし、かつては食用よりも家畜の飼料や搾油用でした。後に食用としての「大豆」が健康食品として見直される中で、ようやくアメリカでも「豆腐」が食べられるようになりました。

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