童謡「里の秋」誕生秘話

2021/10/05

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

みなさんは「里の秋」という童謡をご存じですよね。作詞・斎藤信夫、作曲・海沼實で、長年、小学校の音楽教科書に採用されていたし、2007年には「日本の歌百選」にも選ばれている有名な歌です。

この詩は昭和16年に、「星月夜」として四番まで書かれました。

 一番 しずかなしずかな 里の秋  お背戸に 木の実の落ちる夜は

    ああ かあさんとただ二人  栗の実煮てます いろりばた

 二番 明るい明るい 星の空  鳴き鳴き 夜鴨の渡る夜は

    ああ とうさんのあの笑顔  栗の実 食べてはおもいだす

 三番 きれいなきれいな 椰子の島  しっかり守って くださいと

    ああ とうさんの ご武運を  今夜もひとりで 祈ります

 四番 大きく大きく なったなら  兵隊さんだよ うれしいな

    ねえ かあさんよ 僕だって  かならずお国を まもります

昭和16年ですから、おわかりのように太平洋戦争が勃発した時に書かれたものです。戦争に対する高揚感が、三番の「しっかり守って」「ご武運」や四番の「兵隊さん」「お国を守ります」ににじみ出ています。

幸いというか、この「星月夜」に海沼は曲を付けませんでした。おそらく海沼は、詩の中に戦意高揚とは異なる家族愛(違和感)を感じ取っていたのでしょう。そういえば『万葉集』で山上憶良は、「瓜食めば子供思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」と詠じていました。それがあって、子供が栗を食べて父のことを思うと見ていたのかもしれません。

それから4年後の昭和20年といえば、日本が太平洋戦争で敗戦した年です。続々と戦地から引き上げてくる兵士たちに向けて、NHKラジオでは「外地引揚同胞激励の午后」という番組が企画されました。その時、海沼はこの詩が頭に浮かんだのです。そこで斎藤に「スグオイデコフ カイヌマ」という電報を打ちました。やってきた齋藤に、一番・二番はそのままでいいから、三番・四番の歌詞を復員兵を慰労し励ます詩に改作するように依頼します。なんとそれは放送の一週間前だったそうです。12月24日の放送当日、書き上げた三番を持参すると、海沼は曲名を「里の秋」に変更するよう提案しました。その歌詞は次のようになっています。

 三番 さよならさよなら 椰子の島  お船に揺られて 帰られる

    ああとうさんよ 御無事でと  今夜も かあさんと 祈ります

こうして本来は戦意高揚のために作られた歌が、平穏な家族愛の歌へと大変身して披露されたのです。私も幼い頃にこの曲を歌っていましたが、復員の曲という意識はまったくありませんでした。そこであらためて歌詞を見直してみました。そもそも一番は、故郷の秋を母子で過ごす情景ですね。「お背戸」は家の裏庭のことです。

「ただ二人」というのが気になります。「とうさん」はいないのでしょうか。そう思っていると、二番に「おもいだす」とあって、やはり「とうさん」はいないことが察せられます。どこへ行ったのかと思っていると、三番に「帰られる」(敬語)とあって、どうやら近々帰ってくるようです。決め手は「椰子の島」ですね。椰子は南国の象徴ですから、これで「とうさん」は南方に出征していたことがわかります。そこから船で引き上げてくるのです。「さよならさよなら」は、とうさんが南方の島に別れを告げているのです。

この引揚も大変なことだったようです。そういった多くの引揚者に対して、里の家族がどんなに帰りを待ち望んでいるかを、当時小学校五年生だった童謡歌手・川田正子(11歳)が歌いました。できたて覚えたての歌詞を歌い終えると、スタジオはシーンと静まり返りました。しばらくして称賛の声と拍手の嵐が起きます。そして放送が終わる前から、NHK中の電話が鳴りやみません。「感動した」「何という歌だ」「もう一度聞きたい」という声で、一時パニック状態に陥ったほどです。

それだけではありません。翌日になるとNHKには郵便物が山のように届きました。これはNHKラジオ開局以来の大反響だったそうです。そこで翌年の正月に始まった「復員だより」で、半年間この曲が放送されたそうです。その終戦から75年以上過ぎた現在、敗戦の記憶・引揚げの記憶が失われてしまったことで、この歌はあまり歌われなくなってしまいました。いい曲なのに残念ですね。

※所属・役職は掲載時のものです。