「桔梗」について

2021/08/17

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

「桔梗」というと何を思い浮かべますか。戦国好きの人なら明智光秀の桔梗紋でしょうか。桔梗屋(山梨)の信玄餅も有名ですね。文学では宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に「桔梗色の空」が出てきます。私は真っ先に加賀千代女の「桔梗の花咲くときぽんといひそうな」という俳句が頭に浮かびました。桔梗の色とか可憐さとかではなく、紙風船のような蕾のふくらみがはじけて開花する様を、聴覚によって表現している点、見事としかいいようがありません。これ以上の桔梗の俳句は見当たらないようです。

この「桔梗」については、既に「秋の七草」のコラムで触れました。秋の七草の中で最大の謎は、「朝顔」の指す花が時代によって変化していることでした。特に山上憶良が詠んだ七種(ななくさ)の歌(万葉集1538番)の「朝顔」は、今の「桔梗」のことだとされています。そのことは『新撰字鏡』に、「桔梗、阿佐加保」とあることからもわかります。ただし「ききょう」という名称で呼ばれていたわけではなさそうです。

平安時代の「桔梗」は「きちかう」と訓読されていました。そのことは『古今集』で紀友則が、

秋近う野はなりにけり白露のおける草葉も色かはりゆく(440番)

と「きちかうの花」として詠み込んでいるし、それ以外にも、

あだ人のまがき近うな花植ゑそ匂ひもあへず折りつくしけり(拾遺集363番)

白露のおける草葉に風涼しあかつき近うなりやしぬらむ(元真集)

などと物名歌として詠まれていることから察せられます(みんな「―近う」を使っています)。

「桔梗」は散文にもわずかながら見られます。ただしその用例の半分は衣装の色目でした。実際の植物としては、『うつほ物語』国譲下巻に、

青き色紙に書きて桔梗につけたり。(新編全集209頁)

と手紙に添えているし、『源氏物語』宿木巻にも、

女郎花・桔梗など、咲き始めたるに、(新編全集305頁)

と秋の花として書かれています。もちろん『枕草子』「草の花は」にも、

女郎花、桔梗、あさがほ、かるかや、菊、(新編全集120頁)

と羅列されています。「女郎花」と並記されることが多いようです。これは『徒然草』にも、

  秋の草は荻、薄、きちかう、萩、女郎花、藤袴、(新編全集195頁)

と継承されており、全体としては類型的な用いられ方のようです。

ところで「桔」という漢字の音は「きつ・けつ」で「梗」の音は「こう・きょう」ですから、おそらく中国語の発音がそのまま日本で定着したのでしょう。その「きつきょう」が音韻変化して、いつしか「ききょう」と詠まれるようになったと考えられます。もちろん「桔梗」には別名がありました。憶良の七種歌の「朝顔」がそうでしたね。ただし前述の『枕草子』には「桔梗、あさがほ」とあるので、この折には「桔梗」と「朝顔」は別の植物を指していたことがわかります。

それ以外に『本朝和名』には「阿利乃比布岐(ありのひふき)一名、乎加止々岐(をかととき)」とありました。蟻が桔梗の花を咬むと、蟻酸によってアントシアニンという色素が赤く変色するので、あたかも蟻が火をふいたように見えることから、そう名付けられたそうです。古く『出雲国風土記』に見られる「凡そ諸の山野に在らゆる草木は、白歛、桔梗、藍漆」について、新編全集では「ありのひふき」とルビを施していますが、何故そう読むのかの理由は記されていません。もう一つの「をかととき」もそう読んだ資料が見当たらないので、「きちかう」と読んでおくのが無難なようです。

そもそも「桔梗」の根にはサポニンという薬の成分が含まれているので、始めは薬草として輸入され、全国で栽培されたのでしょう。紫色の花はそれなりにきれいなので、現在では愛でられていますが、古典では「きちかう」という名が韻文には馴染まなかったのか、「朝顔」以外は和歌にも俳句にもほとんど詠まれていません。

当然、名歌とされるものも見当たりません。友則の歌などは物名歌だからかろうじて詠まれているのです。俳句にしても、芭蕉が「桔梗」を詠んでいないのは、そのためだったのでしょう。そうなると、千代女の俳句はもっと評価されていいのではないでしょうか。

※所属・役職は掲載時のものです。