「萩」の基礎知識

2021/08/05

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

『万葉集』で、梅よりも桜よりも多く詠まれている花があります。ご存じですか。それが「萩」でした。梅が119首なのに対して「萩」は142首ですから、万葉人がどんなに「萩」を愛していたか、あるいは日常生活と密接に関わっていたかがわかります。

もちろん梅や桜が春の花なのに対して、「萩」は秋の花でした。そもそも草冠に秋と書いて「萩」ですから、名称からして秋を代表する漢字を宛てられていることになります。そのことは山上憶良が歌っている「秋の七草」において、

萩の花尾花葛花なでしこが花をみなへしまた藤袴朝顔が花(万葉集1538番)

と最初に「萩」が詠まれていることからも察せられます。そこで8月7日の立秋にちなんで、「萩」についてお話します。

まずは『万葉集』に、「萩」という漢字が見当たらないことをご存じですか。表記を調べてみると、「芽」あるいは「芽子」を「はぎ」と読んでいるか、「波疑」という万葉仮名を「はぎ」と読んでいるだけです。なんと『万葉集』において、「萩」という漢字は用いられていなかったのです。

上代の初出として、『播磨国風土記』の「萩原里」があげられていますが、どうやらそれは「萩」ならぬ「荻」ではないかといわれています。もしそうなら、上代に「萩」の使用例はないことになります。結局「萩」を「波支(はぎ)」と読んだ最初の例は、900年頃成立の『新撰字鏡』という辞書でした。ただし「萩」が一般化するまでにはかなり時間がかかりますから、905年成立の『古今集』でも、漢字ではなく「はぎ」と仮名で書かれていました。

漢字「萩」が普通に使われるようになるのは、相当遅かったようです。そのため植物学者の牧野富太郎など、「萩」は日本で作られた国字だといっています。しかしながら中国に「萩」の漢字はあるので、国字とは認定できません。ただし中国と日本では、その漢字の指す植物が違っていました。中国ではキク科のヤマハハコですが、日本ではマメ科のハギだったのです。ということで、「はぎ」という訓読みは、日本独自の言葉だったことになります。

もう一つ面白いのは「白萩」です。その中でも有名なのが、

我が待ちし白萩咲きぬ今だにもにほひに行かな彼方(をちかた)人に(2018番)

という歌です。これなど表記は「白萩」ですが、「しろ」ではなく「秋(あき)」と訓読されています。普通に考えれば白色の「萩」ということになりそうですが、風水というか五行説でいうと、「秋」は西の方角であり、その方角を示す色が「白」だったのです(白秋、金秋ともいいます)。そうなるとこの「白」は必ずしも花の色ではなく、「秋」と互換できる語ということになります(「春」と「青」もそうですね)。実のところ『万葉集』の「萩」の歌の中で、はっきり花の色を表現している歌は見当たりません。

「萩」の色については、花よりも葉の黄葉表現に用いられる方が普通でした。『万葉集』の黄葉が「紅」でなく「黄」とあるのは、楓の黄葉ではなく「萩」の黄葉が多く歌われているからです。特に「下葉」が真っ先に黄葉します。当然その時期も、晩秋よりもっと早い中秋なので、平安時代の楓の紅葉とはきちんと区別する必要があります。

それはさておき、「萩」の語源は非常に複雑です。『万葉集』の「芽子」は「がこ」もしくは「めこ」と読みますが、「めこ」は「妻子」と同音(言語遊戯)になります。要するに「芽子」=「妻子」でもあったのです。だからでしょうが、「萩」は女性・恋人に喩えられ、「秋萩の妻」「萩の花妻」と詠まれています。

それもあって「萩」は牡鹿との相性がいいようで、「鹿鳴草」「鹿の妻」とか、「秋萩を妻問ふ鹿こそ」(1790番)などと詠まれています。大伴旅人も、

我が岡にさを鹿来鳴く秋萩の花妻問ひに来鳴くさを鹿(1541番)

と歌っています。ただし鹿が「萩」に近づくのは、単に「萩」の花芽を食用としているからでした。「萩」は枝に花の若芽がたくさん出るので、それを食べに動物が集まってくるのです。それを人間が、いかにも恋愛感情があるように読み取っているだけなのです。

その他、葉っぱが歯のように見えるから「歯木」だという説も捨てがたいものです。平安時代になって、「萩」の歌が減少したのは、貴族の美意識がそういった生活臭を嫌ったからかもしれません。

※所属・役職は掲載時のものです。