若山牧水の「白鳥は」歌について

2021/06/17

吉海直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

確か中学校の授業で若山牧水の、

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも()まずただよふ

という短歌を習いました。いい歌だなと思っただけでなく、うっすらとした記憶ですが、「白鳥」をどう読んだらいいのか悩んだ覚えがあります。教科書にルビが施されていたのかどうか、今となっては判然としません。

これを「はくちょう」と読んだら、鳥の種類が決まるし、大きな鳥であること、さらには白鳥が飛来する時期・場所まで絞り込めます。またこれを「しらとり」と読むと、鳥の種類は特定できません。白い鳥ならなんでも構わないからです。またサイズも「はくちょう」よりは小さくなりそうだし、季節も場所も限定されません。

「はくちょう」と読むか、それとも「しらとり」と読むかでこれだけイメージが違ってくるのですから、普通だったら教科書にルビが付いていてもおかしくありませんよね。とここまで来て、どうやら作者である牧水自身の読みが、途中で変更していることがわかりました。初版では「はくてう」と読んでいたものを、後になって「しらとり」にしていたのです。

調べてみると、初版は明治40年の文芸雑誌「新声」12月号に、

白鳥(はくてう)は哀しからずや海の青そらのあをにも染まずただよふ

とあり、「白鳥」に「はくてう」とルビが打ってありました。それは牧水223歳の時(早稲田大学在学中)です。それが翌年7月に刊行された第一歌集『海の声』では、

白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

と修正された形で掲載されています。1年の間に「白鳥」の読みが変わっただけでなく、空と海の位置までも入れ替わっています(かなり大きな推敲ですね)。

この間に一体何かあったのでしょうか。読者から「はくちょう」ではおかしいという指摘でもあったのでしょうか。それはわかりませんが、牧水自身が最終的に「しらとり」にしたことは間違いなさそうです。ということで、最近の教科書では「しらとり」と読ませているようです。でもあえて「白鳥」とだけ書いて、それをどう読むか、それはどうしてか、どう違うかということを考えさせる材料にするのも悪くないですよね。

「白鳥」はなんと読みますか、「白鳥」はどんな状態ですか、上空を飛んでいるのですか、海に浮かんでいるのですか、「白鳥」は一羽ですか複数ですか、「哀し」はどんな感情だと思いますか、「や」は疑問ですか反語ですか、それで訳がどう違ってきますか、「空の青」と「海のあを」(対句)の表記が異なっているのは何故だと思いますか、またその色にどんな違いがあるのでしょうか、「染まず」というのは何が何に「染まず」ですか、「ただよふ」とはどんな意味・状態ですか、などなど考える材料はいくらでもあります。最後に各自に歌のイメージを絵に書かせてみるのも面白そうですね。

 ところでみなさんは、この歌からどんな印象を受けますか。牧水は本当に悲しそうな「白鳥」を歌っているのでしょうか。それとも「白鳥」は何かの比喩なのでしょうか。「白鳥」に問いかけているようでありながら、実は自分に問いかけていると見ることもできそうですよね。さらにそのことを考える材料は、牧水の第三歌集『別離』にあります。というのも、この歌を再録するにあたって、

女ありき、われと共に安房の渚に渡りぬ。われその傍らにありて夜も昼も断えず歌ふ。

という詞書が改めて付けられているからです。ここで牧水は、この歌を恋の歌として鑑賞させようとしていることがわかります。「女」というのは、当時恋愛関係にあった園田小枝子のことだとされています。もちろん中学生の頃の私に、そんな解釈はできませんでした。

もっともこれは、牧水の作為ではないでしょうか。『別離』(明治43年刊)においてこの詞書を付け足したことで、この歌の解釈を変更・限定しようとしているのでしょう。「安房」とあるからには、この歌は千葉県房総半島の海岸で詠まれたとしか考えられません。となると「白鳥」にしても「カモメ」が最適になるというわけです。その「カモメ」の孤独(青春の愁い)を恋の悩みに置き換えてもいいのでしょうか。むしろこんな詞書はない方が、歌の世界が広がるように思えてなりません。

なおこの歌は、昭和22年に小関裕而が作曲して、「白鳥(しらとり)の歌」として大ヒットしました。私たちが「白鳥は」歌に馴染んでいるのは、ひょっとすると歌謡曲として耳に残っていたからかもしれません。

※所属・役職は掲載時のものです。