「夜ごはん」をめぐって

2021/03/30

吉海直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

平成5年に出版された『あさごはんひるごはんばんごはん』(今井祥智作)という絵本を知っていますか。3匹の猫たちが活躍するお話ですが、その名前が「あさごはん」「ひるごはん」「ばんごはん」だったのです。3匹目の猫は「ゆうごはん」「よるごはん」ではなく「ばんごはん」でした。

 さてみなさん、「夜ごはん」という言葉を聞いたことありますよね。あるいは口にしたことがあるかもしれません。特に外国人留学生と話していると、時々耳にしておやっと思うことがあります。また日本人でも、若い人は普通に使っているかもしれません。では「夜ごはん」は、日本語として間違っているのでしょうか、それとも許容される表現なのでしょうか。それについて考えてみましょう。

そもそもご飯は一日に3回食べるので、その3回にそれぞれ名前が付けられています。3回の食事のうち、朝や昼は言い方が、

朝ごはん・朝食・朝飯・朝餉

昼ごはん・昼食・昼飯・昼餉・午餐

に固定していて、違和感を抱いたことはありません。なお「昼ごはん」だけは、単に「お昼」でも十分通用しています。

それに対して夜はというと、

夕ごはん・夕食・夕飯・夕餉

晩ごはん・晩食・晩飯・晩餉・晩餐

の2種類があります。「晩食」はあまり耳にしないかもしれませんが、夏目漱石の『門』に出ています。また「晩餉」ともいいます。ただしこの場合、「ばんげ」ではなく「ばんしょう」と読んでください。もっとも泉鏡花は、『遺稿』の中で「晩餉」を「ばんげ」と読ませています。なお永谷園のインスタントみそ汁は、「あさげ」「ひるげ」「ゆうげ」となっており、「ばんしょう」はありません。

もう1つ、晩には「晩餐」という大げさないい方もあります。これは逆に「朝餐」「昼餐」とはいわないようです。かろうじて昼には「午餐」といういい方があります。「午」は旧暦の時刻で、午前11時から午後1時までのことです。それが現在でも正午(午の正刻)として残っています。

問題の「夜ごはん」は、かなり新しく言い出された表現のようです。そのため年配の人には、幼い言い方(幼児語)と受け取られているようです。その幼児語を留学生に教えるのはいかがなものでしょうか。似たような言い方に「夜食(やしょく)」がありますが、これは「晩ごはん」を食べた後に食べるものなので、意味が違っていますね。

ではどうして「夕」「晩」に「夜」が入り込んできたのでしょうか。少し過去に遡って考えてみましょう。かつての「夕ごはん」は、電灯が整備されていなかったこともあって、まだ明るいうちに食べていました。ですから明治までは「夕」が主流だったのです。ところが明治になってランプや電灯が家庭に普及したことで、暗くなってからでも食べられるようになりました。そのため「夕」よりも「晩」の方が時間的にふさわしいと思われたのか、「晩ごはん」が急浮上してきました。今では「晩ごはん」の方が一般的になっています。

「夜ごはん」はもっと新しくて、第二次世界大戦以降とされています。あるいは「夜のごはん」の「の」が取れたのかもしれません。面白いことに、高年層は「夕ごはん」、中年層は「晩ごはん」、若年層は「夜ごはん」と、年齢によって3層に分かれているという報告(統計)もあります。となると、いずれ「夕ごはん」は死語になるかもしれませんね。

「夜ごはん」は必ずしも間違ったいい方ではないのですが、それに対して違和感を抱く人たちが少なからずいることも間違いありません。その証拠に、つい最近まで国語辞典の見出しにもありませんでした(日本国語大辞典にも出ていません)。最新ようやく取り入れられているようで、『デジタル大辞泉』には「比較的近年になってできた語とされる」とわざわざ説明されていました。あるいは「夕ごはん」と「晩ごはん」の中間的なイメージを有しているのかもしれません。

ということで、「夜ごはん」はまだ完全には市民権を得ているわけではありませんが、定着するのは時間の問題でしょう。その証拠に、既に「(よる)飯」という言い方も「夜ごはん」の俗語として使われ始めています。これも時代の波でしょうね。

 

※所属・役職は掲載時のものです。