「馬酔木」の文学史

2021/03/16

吉海直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

私の住んでいる奈良では、3月になると至る所に「馬酔木」の花が咲いています。ただしこれは奈良だけの話かもしれません。というのも堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』の出だしに、

  この春、僕はまえから一種のあこがれをもっていた馬酔木の花を大和路のいたるところで見ることができた。

とあるし、また『辛夷(こぶし)の花』の出だしも、

  春の奈良へいって、馬酔木の花ざかりを見ようとおもって、

となっています。それだけでなく『十月』や『死者の書』にも出ているので、堀辰雄は「馬酔木」をもっとも愛した作家だといえそうです。実際、スズランに似た壺のような形をした白い花がずらっと並んでいて、しかもほのかに甘い香りがします。とはいえ沈丁花(じんちょうげ)に比べて色も香も劣っているのに、どうして惹かれるのでしょうか。

その理由の一つには、『万葉集』に「馬酔木」を読んだ歌が、

 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありといはなくに (116番大伯皇女)

 池水に影さへ見えて咲き匂ふ馬酔木の花を袖にこき入れな (4512番家持)

など10首も入っていることがあげられます(「馬酔木なす」は「栄ゆ」の枕詞)。『万葉集』へのあこがれもあって、奈良の「馬酔木」を見たくなるのでしょう。ところが平安時代になると人気がなくなったようで、「馬酔木」は勅撰八代集に1首も詠まれていませんし、『枕草子』や『源氏物語』にも引用されていません。

さてここで質問です。みなさんは「馬酔木」をどう読んでいますか。「あせび」ですか「あしび」ですか。『万葉集』の万葉仮名を見ると「安志妣」「安之婢」とあるので、「あしび」と読まれていたことがわかります。それが徐々に「あせび」も許容されるようになり、今ではむしろ「あせび」の方が主流になっているようです(他に「あしみ」「あせみ」「あせぼ」ともいいます)。ただし短歌雑誌や俳句雑誌の『馬酔木』は「あしび」でしたね。

「馬酔木」が何故「あしび」と読まれるのか、ご存じでしょうか。一般には「馬酔木」には毒があって、それを馬が食べると酔ったような症状が出るからだとされています。私もそれを信じていたのですが、ニュースで馬が「馬酔木」を食べて中毒症状を起こしたなんて聞いたことがありませんよね。

第一、奈良公園に「馬酔木」が多いのは、鹿が食べないからです。動物だって学習能力があるので、間違って食べることなど考えられません。そう思いませんか。一説によると、古代に中国から渡来した人たちが、馬を携えてきたそうです。中国の馬は馬酔木に接したことがなかったので、毒があるとは知らずに食べて死んだそうです。それを教訓にして、馬に食べさせたら危険だということを知らせるために、あえて「馬酔木」という漢字にしたのだというのです。これなら納得できますね。

ついでに「あせび」の語源ですが、よくいわれているのは「足痺」(あししびれ)・「悪し実」(あしみ)が訛ったものだという説です。正解はわかりませんが、どちらも毒性のあることを語源にしています。

もうしばらく植物の勉強を続けましょう。「馬酔木」は何科に属すると思いますか。正解はツツジ科です。どうやらツツジ科には毒のあるものが多いようです(シャクナゲにも毒があります)。普通、植物の毒はうまく用いれば薬になるのですが、どうも「馬酔木」は薬用には不向きのようです。その代わり、アセボトキシンなどの毒を有効活用して、殺虫剤として活用されています。

平安時代には歌に詠まれなくなったといいましたが、わずかながら、

  取りつなげ玉田横野の放れ駒つつじかげだにあしび花咲く(源俊頼)

  みま草は心して刈れ夏野なる茂みのあせみ枝まじるらし(藤原信実)

などと詠まれています。ただし美的なものとしてではなく、やはり毒があるので馬が食べないように注意しろという警告を含む内容になっています。

「馬酔木」はもちろん外国にもあります。学名は「ピエリス・ジャポニカ」です。ピエリスはギリシャ神話の女神の名前です。英語名はなんと「アンドロメダ」になっています。比較的暖かい地方に自生しており、普段目にするのはこじんまりしたもの(常緑低木)ですが、中には四メートルを超すものもあります。詩的情緒があるのか、有毒なのに飲食店の名に多いということです。

 

※所属・役職は掲載時のものです。