「うがい」の話

2020/03/11

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

よく「うがい」をするのは日本人だけの習慣、という話を聞くことがあります。「うがい」は本当に日本独自の文化なのでしょうか。外国では「うがい」をしないのでしょうか。このことについて、面白い記事がありました。外国の水道には微生物がたくさん含まれているので、その水で「うがい」をすると、かえって菌が増殖してしまうというのです。日本の水道事情のよさが、「うがい」文化を裏で支えていたというわけです。

もちろん外国でも「うがい」は皆無ではありませんが、予防として集団で行う事例は報告されていません。また健康な外国人に「うがい」をしているかと尋ねても、ほとんどしたことがないという答が返ってくるようです。さらには人前でガラガラ・ブクブクと音を立て、その水をペッと吐き出すのはエチケット違反だと反撃されかねません。

では日本ではいつごろから「うがい」文化があったのでしょうか。調べてみると、平安時代の後期には既に行われていたことがわかりました。『中外抄』(院政期成立)や『水鏡』(鎌倉初期成立)に「うがい」の用例が出ていたからです。

そもそも「うがい」とは漢字で「嗽」と書きます。意味は水や薬で口をすすぐことです。目的は口中を清潔にするためであり、口中の炎症を和らげるためだったようです。面白いのはその語源です。まさかと思いましたが、「うがい」は「鵜飼い」からきているというのです。というのも、鵜が魚を飲んでは吐き出す行為と似ているからです。俄には信じがたいですね。でも江戸時代の辞書にすでにそう説明されているし、他にこれに代わるような語源説が見当たりません。

その「鵜飼い」は『日本書紀』神武天皇紀に「鵜養部」の存在が記されているし、中国の『随書』開皇20年(600年)条に、日本を訪れた随使が鵜を使った漁法を見たという記述が出ているので、かなり古くから行われていたことがわかります。「鵜飼い」から「うがい」への道順は理にかなっていたのです。ただし「うがい」は「うがふ」という動詞が名詞化したものとも考えられますから、「鵜飼」説はこじつけかもしれません。

それに対して外国では、どうも近代まで「うがい」の効用が信じられていなかったようです。それもあって本当に「うがい」は風邪の予防になるのかどうか、激しい議論もありました。研究者の中には、ウィルスは短時間で細胞内に取り込まれてしまうので、水で洗い流せるものではなく、予防にはならないという意見もありました。どうやら「うがい」が効くかどうか、近代まで誰も本気で実験して確かめようとはしなかったようです。

ようやく2002年になって、京都大学の川村孝教授のグループが動きました。研究テーマは「世界初のうがいによる風邪予防効果の無作為割付研究」です。要するに被験者を、Aうがいをしないグループ・B水でうがいするグループ・Cヨード液でうがいするグループの三つに分け、その人たちが風邪を引いた数を数値化したのです。案外単純ですね。

その結果は、Aうがいをしないは百人中26.4人が風邪を引き、B水でうがいするは17人風邪を引き、Cヨード液でうがいするは23.6人風邪を引いた、でした。この数値によれば、ある程度「うがい」の効果があらわれているともいえます。意外だったのは、Cヨード液がB水よりも効果が低かったことです。その理由は不明ですが、一説にはヨード液の殺菌力が強すぎて、のどの正常細胞まで破壊したためだといわれています。この実験によって、「うがい」に予防効果が多少はあることが実証されました。

さらに食塩水の方が効果があるだの、緑茶や紅茶は効き目があるだの、中にはお酒を飲むのが一番だということを言い出す人もいました。そこで2006年に、浜松医科大学の野田龍也助教のグループが、幼児二万人近くを対象として、「うがい」の効用を実験しました。今度は風邪を引くかどうかではなく、37.5度以上の高熱を出すかどうかの調査でした。その結果、うがいをした子供の発熱率は0.4パーセントだったのに対して、うがいをしなかった子供の発熱率は1パーセントでした。特に緑茶でうがいをした子供の発熱率が一番低く、次に食塩水、そして水道水と高くなったとのことです。この数値にどれだけの意味があるのか疑問ですが、今回は高熱ですからやむをえません。なお子供が対象ですから、飲酒の効果は含まれていません。今のところお酒の実験は行われていないようです。

ついでながら、これはあくまで風邪に対する実験であり、インフルエンザやコロナウィルスなどに対する「うがい」の効果は、いまだ科学的に証明されていないとのことです。ということで、厚労省もインフルエンザ予防啓発ポスターから「うがい」をはずしました。

 

 

※所属・役職は掲載時のものです。