「くしゃみ」からの連想

2019/12/03

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

寒くなってくると、よく「くしゃみ」をしますね。ではみなさんは「くしゃみ」という言葉から何を連想しますか。私は夏目漱石の『我輩は猫である』と、芥川龍之介の『鼻』・『羅生門』がすぐに頭に浮かびました。『猫』は猫の飼い主が苦沙弥先生という名前でしたね。『鼻』は『宇治拾遺物語』中の「鼻長僧事」という説話の翻案です。鼻の長い和尚が食事する際、小坊主が板で鼻を支えているのですが、「くしゃみ」をして和尚の鼻が粥椀の中に落ちてしまうという悲惨で滑稽な話です。また『羅生門』の方には「下人は大きな(くさめ)をして」と出ています。

ここにある「くさめ」というのは「くしゃみ」の古語で、『徒然草』47段には清水寺参詣の途中で老尼が「くさめくさめ」と唱えながら歩くのを聞いて、何故唱えているのかしつこく尋ねたところ、「くしゃみ」した時にこの呪文を唱えないと死んでしまうからだと答えています。「くしゃみ」をすることによって魂が体外に出てしまうと、寿命が縮まると考えられていたのでしょう。それを留める呪文として「くさめ」と唱えたわけです。

この呪文については、『枕草子』「にくきもの」章段に、「鼻ひて呪文する」とあります。ここでは「くさめ」のことを「鼻ひ」という語であらわしていますが、どうもこちらの方が古いようで、『万葉集』にも、

うち鼻ひ鼻をそひつる剣刀身に添ふ妹し思ひけらしも(二六三七番)

と出ていました。これは呪文ではなく、「くしゃみ」をしたことの原因を恋人が自分のことを思っているからと都合よく解釈しています。

なお、「くしゃみ」と噂の関連は古く中国の『詩経』に出ているので、中国から日本に伝わったと考えられます。それが現代にまで引き継がれてきたようで、多少の違いはあるものの、「一謗り二笑い三惚れ四風邪」とか、「一に褒められ二にふられ三に惚れられ四に風邪」などという俗説というかことわざとして広まっています。最後の風邪という落ちが面白いですね。

前述のように、「くさめ」という言葉よりも「鼻ひ」の方が古くから用いられていました。おそらく「くしゃみ」のことは「鼻ひ」といわれていたのでしょう。しかし「くしゃみ」が出る度に「くさめ、くさめ」と呪文を唱えているうちに、いつしか「くさめ」が「鼻ひ」に取って代わり、逆に「鼻ひ」とはいわなくなったのではないでしょうか。

そうなると改めて新しい呪文が必要になったようで、例えば古俳句に「くさつめや徳万歳のはなの春」(寛永発句帳)とあるのは、「くしゃみ」をした時に「徳万歳」と唱えていたことを示しています。それとは別に、江戸後期には「くそくらえ」というかなり下品な呪文も登場しています(安斎随筆)。

「くしゃみ」は病気というより日常茶飯事のものですから、取り立てて注目されることはありませんでした。そのため近代文学作品の中に引用されていたとしても、ほとんど印象に残っていないのです。しかしながら案外多くの作品に使われています。たとえば谷崎潤一郎の『細雪』、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』、太宰治の『斜陽』などに用例があります。その他、昔話では『花咲じじい』の中で、隣の欲張り爺さんが灰をまいて、殿様が「くしゃみ」をしています。谷川俊太郎の有名な「二十億光年の孤独」という詩も、「思わずくしゃみをした」で終っています。

キーワードかどうかはともかく、「くしゃみ」がいろんな作品に描かれていること、おわかりいただけましたか。是非みなさんも探してみてください。

 

※所属・役職は掲載時のものです。