「敬老の日」について

2019/09/03

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

2019年の9月16日は「敬老の日」です。もともと敬老の日は9月15日だったのですが、2001年に祝日法が改正されてハッピー・マンデー制度が導入されたことで、9月の第3月曜日に移動されました。

実のところ、敬老の日が何故祝日なのかはよくわかりません。「子供の日」があって、「成人の日」があって、「母の日」があるのに、「老人の日」がないのはおかしいということでしょうか。それなら「祖父母の日」でもよさそうな気がします。いずれにしても「敬老の日」が祝日になったのは随分新しく、1966年のことでした。そこでは「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことが趣旨だと説明されています。ただこれだと無条件で老人を敬愛するのではなく、長年社会に尽してきた老人だけが対象(条件)のようにも読めてしまいます。

ことの始まりは兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)でした。戦後の1947年9月15日に、村主催の「敬老会」を開催したのが最初だったそうです。時の村長・門脇政夫氏は「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨で始めたそうです。その時期は農閑期で気候も良いということで、たまたま9月15日が選ばれました。後付けかもしれませんが、元正天皇が霊亀3年(717年)9月に「養老の滝」を命名し、元号を養老元年に改めたという伝説も踏まえられているようです。

当時は戦後の混乱期でもあり、息子を戦場へ送った親も多かったので、その精神的苦痛を和らげるべく年寄りを労わる日が制定されたのです。なお当時の年寄りは満55歳以上だったようです。この試みが村から兵庫県全体に広がりを見せ、さらに全国的な運動として広がっていきました。それが功を奏し、1951年には中央福祉協議会がこの日を「としよりの日」に定めています。

ただ「としより」という言葉の響きが悪いことから、1963年には老人福祉法が制定されたことを受け、9月15日を「老人の日」に定めました。要するに「としよりの日」が「老人の日」に改名されたわけです。まだこの段階では祝日になっていません。野間谷村は運動の中心となって、「老人の日」を国民の祝日にするよう国に働きかけました。そして遂に1966年に「敬老の日」と改められた上、国民の祝日に制定されたのです。なお現在は、65歳以上を高齢者(老人)としているので、70年経過する間に老人の年齢が十歳も高くなっていることがわかります。

そういう経緯で、多可町には「敬老の日提唱の地」という石碑が建てられています。2016年9月15日には、秋篠宮両殿下をお迎えして「敬老の日」制定50周年の記念式典も行なわれました。その日付が15日から第3月曜日に動かされたことに関して、門脇政夫氏や財団法人全国老人クラブ連合会はもちろん反対の意を表明しています。それもあって「敬老の日」とは別に、同じく2001年に老人福祉法が改訂され、9月15日が「老人の日」と定められました。これによって本来一つだったものが、「老人の日」と「敬老の日」に二分されたのです。もっとも「老人の日」は老人福祉を啓発することが目的ですから、「敬老の日」とは明らかに趣旨が異なっています。

実は私も昨年の7月に満65歳(現在は66歳)になったことで、「敬老の日」が他人事ではなくなったのです。

 

※所属・役職は掲載時のものです。