七月七日はカルピスの誕生日

2019/06/21

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

「七月七日は何の日」と尋ねられると、たいていの人は「七夕」と答えるのではないでしょうか。実はちょうど百年前の七月七日にカルピスが販売されました。ですから七月七日はカルピスの誕生日でもあるのです。

今から百年前というと、1919年(大正8年)でした。そこで質問です。ハイカラなカルピスという名前の由来はご存じですか。どうやらカルピスの「カル」はカルシウムから取られているようです。では「ピス」はいかがでしょうか。

最近のカルピスの宣伝に、「体にピース」とか「ピースボトル」が使用されているので、そこから「ピース(平和)」と誤解している人も少なくないようです。飲んで平和になるというのも悪くはないですね。でもそれは間違いです。「ピス」はサンスクリット語の「サルピス」から取ったもののようです。

意味は「熟酥(じゅくそ)」のことですが、何のことかわかりませんよね。では「醍醐味」という言葉はご存じですか。一般には物事の本当の面白さという意味で使われていますが、それは本来の意味ではありません。「醍醐味」というのは乳製品の五味(五段階)の最上のものという意味です。古く『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』に五味として「乳・絡・生酥・熟酥・醍醐」があげられています。ですから「熟酥」はヨーグルトやチーズに近い食べ物だと思って下さい。

実は命名には秘話がありました。最初は「カルピス」以外に「サルピス」なども候補にあがっていました。どれにするか迷ったあげく、なんと作曲家の山田耕筰に相談したところ、「カルピス」という音の響きが一番いいということで、最終的に「カルピス」に決まったというのです。まさかカルピスに山田耕筰が絡んでいるとは、夢にも思いませんでした。

それにしてもカルピスという名称に、何故お経が関係しているのでしょうか。不思議だと思いませんか。どうやらそれはカルピスの発明者というか、生みの親と深く関わっているようです。また質問です。カルピスの創業者は一体どんな人なのでしょうか。

カルピスを最初に作ったのは三島海雲という大阪生まれの人でした。「海雲」という名は実家が浄土真宗本願寺派のお寺だったからです。13歳で得度した海雲は現在の龍谷大学を卒業した後、中国へ渡り、そこから商いのためにモンゴルへ行きます。そこで体調を崩して瀕死の状態になりますが、モンゴルの酸乳を飲んだことで病気が回復しました。これが後のカルピスにつながるのです。

その後日本に帰国した海雲は、自分を健康にしてくれた酸乳・乳酸菌を日本に広めるために、製品開発に取り組みました。最初は「醍醐味」(発酵クリーム)・「醍醐素」(乳酸菌入脱脂乳)・「ラクトーキャラメル」(乳酸菌入キャラメル)として販売しましたが、まったく売れず商売になりませんでした。

試行錯誤を繰り返した末、ようやく世界初の乳酸菌飲料として、国民的飲料「カルピス」が誕生したのです。これは御承知のように高濃度の原液を水で希釈して飲むタイプのものですが、その濃さによって腐敗しにくい性質を保っており、常温保存も可能でした。

カルピスの成功には、もう一つ宣伝の奇抜さ抜きには語れません。三島はカルピスの宣伝を歌人の与謝野晶子に依頼し、

カルピスを友は作りぬ蓬莱の薬といふもこれに如かじな

カルピスは()しき力を人に置く新しき世の健康のため

という短歌を大正9年の広告に掲載しています。それだけに留まりません。同年には独特の甘酸っぱい味を、

カルピスの一杯に初恋の味がある

という宣伝文句で表現しています。こうして「カルピスは初恋の味」というキャッチフレーズが浸透していったのです。当時の子供達はそれでわかったのでしょうか。

これを具体的な形にしたのが、グラス入りのカルピスに2本のストローが添えられている映像です。これが有名になったことで、「初恋」を表わす手話はここから作られたとまでいわれています。

ここで話を七月七日に戻します。三島は当然のように七夕をカルピスに取り入れました。お分かりでしょうか。実は包装紙のあの水玉模様こそは、天の川をイメージしたデザインだったのです(星にも見えます)。必然的に織姫と彦星の七夕神話が想起されますが、それが「初恋の味」とも関係していたのです。カルピスもなかなか奥が深いですね。

 

※所属・役職は掲載時のものです。