「うまい」と「おいしい」

2019/05/24

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

早速質問です。みなさんは「うまい」と「おいしい」の違いがわかりますか。これは味覚ではなく言葉の問題としてです。意味の違いでも用法の違いでも歴史的変遷でもかまいません。いかがでしょうか。「うまい」は男性的あるいはぞんざいな言葉で、「おいしい」は女性的あるいは丁寧な言い方と答える方もいらっしゃるでしょうね。その答えは決して間違っていませんが、ではどうしてなのでしょうか。

それはどうやら「おいしい」の言葉の成り立ちに秘密があるようです。というのも、「おいしい」の「お」が軽い尊敬を表わす接頭語だからです(「おうまい」とはいいません)。「お」を除くと「いしい」が残りますが、普段「いしい」とは口にしませんよね。

これは古語の「いし」という形容詞が元になった言葉でした。かつては広く「良い」という意味で用いられていました。食べ物の古い例としては、中世の『太平記』の中に、「いしかりしとき(土岐)は夢想にくらはれて周済(周済房)ばかりぞ皿に残れる」という狂歌が記されています。「とき」は「土岐」と「斎」(食事)の掛詞です。「周済」には「酢菜」(酢のもの)が掛けられています。兄の土岐が死罪となり、弟の周済が死罪を免れたという内容です。

室町時代以降は女房言葉として定着したようで、『日葡辞書』の「いしい」項には、「おいしい、あるいは良い味のもの。この語がこの意味で用いられる時は通常女性が用いる」と出ています。ここから室町時代に、食べ物に限定された女言葉になっていることが察せられます。

ところで、みなさんは「いしいし」という言葉をご存じでしょうか。かつて女房たちがお団子をおいしく食べていたことから、「いしいし」は団子を意味する女房言葉になりました。『御湯殿上日記』に「御いしいし」とあります。また樋口一葉の『十三夜』にも、「お月見の真似事にいしいしをこしらえて」と出ているので、明治期までは女言葉として使われていたことがわかります。

というわけで、「おいしい」がかつて女房言葉だったことから、対照的に「うまい」が男性言葉に位置づけられたのでしょう。もちろん古語の「うまし」はそんなぞんざいな言葉ではありませんでした。という以上に、「うまし」は「いし」よりずっとずっと古い言葉でした。既に『万葉集』に「飯食(いひは)めどうまくもあらず」(3857番)と出ているからです。

ただし食べ物の用例は意外に少なく、『万葉集』にはこの一例だけしか見当たりません。それとは別に「うま酒」という用例があって、しかも「うま酒の」は「三輪」「三室」にかかる枕詞となっています。この言葉が背景にあることで、「うまい」は酒を修飾する時によく用いられるのです。

それに対して「いし」が庶民化したのは、「いしい酒でおりゃる」(狂言「比丘貞」)まで時代が下ります(これも酒に用いられています)。ここからいえることは、「いし」が一般化するまでの間、「うまし」だけしか使われなかった長い時代があったということです。

ついでながら「おいしい」という言葉は、原則として食べ物にしか使いません。もっとも最近は、「おいしい話」などと比喩的にも使われていますが、それは先に「うまい話」という言い方があって、それに引きずられてできた表現のようです。ということで、「うまい」には、古くから食べ物以外にも複数の意味がありました。例えば上手の意味もあるし、物事がスムーズに進む時にも使います。その一つが「うまい話には気をつけろ」だったのです。

私は現在奈良に住んでいますが、JR東海は2006年から奈良観光のキャンペーンに、「うまし、うるわし、奈良」を使っています。この「うまし」は「すばらしい・美しい・良い」といった意味です。よく知られているのは『万葉集』の、「うまし国ぞ蜻蛉島大和の国は」(2番)です。これは舒明天皇が天の香具山に登って国見をした際に詠まれた国褒めの歌です。おそらくこれが食べ物にも使われるようになったのでしょう。

最近は男性でも「おいしい」というし、女性でも「うまい」を口にしているので、だんだんその違いがわかりにくくなってきているようですが、「うまい」にはこんなに長い歴史があったのです。

※所属・役職は掲載時のものです。