新元号「令和」の出典について

2019/04/12

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

新元号「令和」の出典は『万葉集』と報道されました。そのため発表直後から、書店の『万葉集』(特に巻五)が飛ぶように売れているとのことです。中には『万葉集』と聞いて、「令和」を和歌の一節だと勘違いしている人もいるようですね。そこで出典について、きちんと確認しておくことにしました。

もちろん出典は和歌の一節ではありません。「令」は和歌に馴染まない言葉です。しかも『万葉集』には、和歌以外の文章も含まれています。『万葉集』815番の前にある「梅花歌三十二首幷序」がそれです。冒頭部分には、

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴会也。于時、初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香、

云々と漢文体で記されています。これを見ると帥として大宰府に赴任していた大伴旅人(66歳)の邸で、梅花の宴が開催されました。そこで歌われた「梅花の歌32首」の序として書かれた部分に、元号の出典があったことがわかります。

残念なことに、この序の作者は未詳です。一見すると主催者である大伴旅人のように見えますが、山上憶良が代筆しているという説が強いようです。まずは漢文を書き下し文にしてみましょう。

天平二年正月十三日、帥老の宅に(あつ)まりて、宴会を申べたり。時に、初春の令月にして、気()く風(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を(ひら)き、蘭は(はい)後の香を薫らす。

これをさらにわかりやすく現代語訳すると、

天平二年正月十三日に、旅人の邸に集まって宴会を開いた。折しも初春のめでたい月、空気は清らかで風も穏やか、梅は鏡の前で白粉をつけた美人のように白く咲き、蘭(藤袴)は身に帯びた匂い袋のように薫っている。

となります。「月」は日月の月ではありません。年月の月ですから、きれいな月が照っていたと誤解しないで下さい。めでたいのはあくまで正月(初春)だからです。なお「令月」という熟語には2月という意味もありますが、この宴会は正月に開催されているので、それもあたりません。

付け加えると、当時の梅はすべて白梅でした。その白梅は中国からもたらされたものなので、とても珍重されていました。そう考えると、中国の窓口的な大宰府に梅が植えられていることも納得されます。それを踏まえて「鏡前の粉」を解釈すると、鏡の前でお化粧している美人の顔のように白く、となります。これは白梅を、顔に塗られた白粉(おしろい)(=美人)に譬えているのです。有名な白楽天の『長恨歌』にも、「六宮粉黛無顔色」とありましたね。

その「梅」と対になっている植物が「蘭」ですが、御承知のように蘭は初春に咲く花ではありません。造花かレトリックでもない限り、正月に花を咲かせることはないのです。ですからここは花ではなく葉の香りということで、「藤袴」のことと解釈されています。自然のものがわざわざ人工のものに譬えられている点、中国趣味であることがわかります。

ここに見えている「初春令月、気淑風和」が、元号の出典となっている個所です。おわかりのように、「令和」という熟語があるわけではありません。単純な引用ではなく、対句になっている「令月」と「風和」から一字ずつ取って、「令和」という熟語をこしらえているのです。こんなこと普通の国文学者にはできそうもありません。

もともと序は漢詩に付けられるものでした。それを和歌に援用しているのですから、それだけで漢詩の模倣であるといえます。書かれている内容にしても、張衡作「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」(文撰)や王羲之の『蘭亭序』の「是日也、天朗気清、惠風和信」が踏まえられています。「令月」については、『和漢朗詠集』や『宴曲集』にある「嘉辰令月」が思い浮かびます。

特に「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」には、「令・和」が揃って使われていることから、序がこれを意識して書いていることは間違いなさそうです。だからといって、純粋な和文ではないという非難は当たりません。当時は漢籍を踏まえることが教養ある文章とされていたのですから。

その中国にも「令和」という熟語は見当たらないようなので、日本で考案された熟語といってよさそうです。これを機に『万葉集』をはじめとする日本の古典が見直されることを願っています。

 

※所属・役職は掲載時のものです。