11月19日は「世界トイレの日」

2021/11/09

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)
 

日本では昭和56年に、語呂合わせで「いいトイレ」(11月10日)がトイレの日に制定されました。その後、国連は世界中に清潔なトイレが行き渡るようにとの願いを込めて、2013年に11月19日を「世界トイレ」の日に制定しています。そこでトイレについて調べてみました。まずは日本のトイレの歴史からです。

日本人ならすぐにわかりますが、外国人にはわかりにくいと思われる言葉に「手洗い」と「お手洗い」の違いがあげられます。一見すると「お」をつけて丁寧な表現にしただけのように見えるからです。でも意味が違いますね。「手洗い」だと洗面所にいきますが、「お手洗い」だとトイレに行くからです。ただし明治以前の用例は見当たらないので、比較的新しい言い方のようです。もともとは女性語だったのかもしれません。もちろん「手洗い」だけでも、比喩表現としてトイレを意味する場合があるので、だんだん区別がむずかしくなってきました。

いわゆるトイレについては、私がアメリカに出張した際、必要に迫られて真っ先に言い方を覚えた経験があります。その時はウォーター・クローゼット(WC)ではなくレスト・ルームでした。当時、バスルームには抵抗がありましたが、今はユニットバスが普及しているので、普通に使えます。その他、ウォッシュ・ルームやラヴァトリー、メンズ・ルームなどいろいろあって、結局ホテルに戻るまで我慢したこともありました。

考えてみると、日本語でもいろいろなトイレの言い方がありますよね。昔は「(かわや)」といったようです。これは『古事記』景行天皇の中に出ている非常に古い言葉です。その語源は水を流す溝がある「川屋」だとされています(水洗だったのです)。

こういった穢れた場所は、直接表現を避けるため、婉曲的に「はばかり」とか「手水(ちょうず)」ともいわれています。「手水」は「お手洗い」に近いいい方です。その「手水」にしても、『枕草子』の例などは単純に手を洗うための水のことでした。それがトイレを意味するようになるのは、下って江戸時代からのようです。一方の「はばかり」は、人目を憚ることに由来しています。ただしこれもトイレの隠語としては、江戸時代以降にしか用例が見当たりません。

寺院では、鎌倉時代からトイレのことを「東司(とうす)」と称していました。「東浄(とうちん)」ともいうそうです。それに近いのが宮家で使われていたという「御東場」です。これが女房詞では「おとう」と称されています。『女重宝記』(元禄5年)には、「大小にゆくを、おとうにゆく」と出ていました。

たまに耳にする「雪隠」も、庶民由来の言葉ではありません。これは仏教起源とされています(中国の霊隠寺由来とも「西浄(せいちん)」の転訛とも)。最初は禅寺で用いられたものが、その後、お茶の世界でも使われたことで、今では茶道用語とされています。禅寺では他に「後架(こうか)」とも称しています。夏目漱石の『吾輩は猫である』に、「後架の中で謡をうたって、近所で後架先生とあだ名をつけられている」とありましたね。覚えていますか。

穢れていることを表明する「ご不浄」はどうでしょうか。江戸初期には、「不浄」だけで排泄物のことを表わしていました。それが明治以降、トイレの意味に拡大して用いられています。近代になると、化粧もしないのに「化粧室」(パウダールーム・トイレット)というネーミングが増えています。その他、「閑所」「思案所」もあげられますが、「思案所」にしても明治以降の新しい言葉のようです。一方の「閑所」は、もともと人気のない場所を意味する古語でしたが、『日葡辞書』には「便所」とありました。

もちろん日本で一番多く用いられてきたのが「便所」です。便所というのは、まさに「大便・小便をする所」というストレートな感じですが、やはりそう古いものではなく、室町時代までしか遡れません。ただし「びんしょ」と発音した「便所」なら、平安時代の『続日本紀』の用例まで遡れます。もっともこれは適当な場所という意味で用いられているものです。

なお平安時代の寝殿造りには固定した厠(部屋)がなく、適当な部屋に移動式の壺やおまるが用意されていました。十二単姿の女性はもちろんおまるです。それがいつしか厠の意味に固定化され、徐々に大衆化されていったのでしょう。もともと「便」は排泄物そのものの意味ではなく、うまく排泄されることでした。だから「お通じ」なのです。この「お通じ」といういい方も、江戸時代から使われたものです。

そういえば昔は、公園などに「公衆便所」が併設されていましたね。最近は「便所」といういい方が避けられているようで、「公衆トイレ」に改められています。なんと大学の案内図でも、トイレあるいはWCとなっていました。日本語が消えるのも国際化の反映なのでしょうか。という以上に、トイレに関して日本は非常に恵まれた環境にあると思ってください。惜しげもなく紙を使うのも、ウオッシュレットの発明も、間違いなく日本の文化です。

※所属・役職は掲載時のものです。