10月1日は「コーヒーの日」

2021/09/27

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

「コーヒー記念日」というのは、最近まで決まっていませんでした。日本では比較的早く、1983年に全日本コーヒー協会が10月1日を「コーヒーの日」にしています。遅れて2014年になって、国際コーヒー機関によって「国際コーヒーの日」が制定され、翌年の10月1日に施行されました。何故10月1日かというと、新豆の出荷が9月末なので、10月1日がコーヒー豆新年にあたるからです。

ここで記憶を遡らせてみます。かつて同志社女子大学の学生部が主催するサマーキャンプで、広島の帝釈峡までいった時、岡山県津山市まで足を伸ばして、「津山洋学資料館」を見学したことがあります。その頃は洋学者の箕作阮甫(みつくりげんぽ)を知っているくらいで、トランプの展示をみてもそれが宇田川榕菴(ようあん)の自筆であることに関心もありませんでした。ところがその榕菴こそは、「珈琲」という熟語の発案者だったのです。これが一つ目。

二つ目は、私が中学生だった頃の英語の教科書(リーダー)に出ていた話です。かつてスウェーデンでは、コーヒーが健康に及ぼす害を調べるため、国王グスタフ三世の命により、一卵性双生児の死刑囚を使って人体実験が行なわれました。英語はあまり得意ではなかったのですが、何故かこの話だけはずっと記憶に残っています。

それは、双子の片方には毎日コーヒーを三杯飲ませ、もう一方にはコーヒーを一切与えず、かわりにお茶を三杯飲ませるというものでした。二人とも死刑になる予定だったので、健康状態の比較を行う実験に利用されたのです。ずいぶん気の長い話ですね。ではその結果はどうだったのでしょうか。

なんと先に亡くなったのは、お茶を飲んでいた方でした。それでも83歳まで長生きしたそうです。もう一方のコーヒーを飲んでいた方は、その後いつ亡くなったのか資料が残っていません。どうやらコーヒーの安全性が確認されたので、そこで実験をやめてしまったのかもしれません。

三つ目は、1974年に放送された「恋とコーヒー」(獅子文六原作)というNHKのテレビ番組です。中身はすっかり忘れてしまいましたが、タイトルだけは今も鮮明に覚えています。というのも、「恋」は現代仮名遣いでは「こい」ですが、歴史仮名遣いでは「こひ」であり、万葉仮名では「弧悲」(独り悲しむ)と書くからです。ただの偶然かもしれませんが、「恋」はコーヒーの発音に似ていると思いませんか。

そもそも外来のコーヒーは、江戸時代に出島で貿易を行っていたオランダからもたらされました。外来語ですから、それに日本名(漢字)をあてなければなりません。そこで津山藩(岡山県)の蘭学者・宇田川榕菴は、これに「珈琲(かひ)」という漢字をあてたのです。外来語の発音を聞いて、それに漢字の音をあてたのでしょうが、それだけではなかったようです。というのも、「珈琲」には玉飾りのかんざしという意味があるからです。榕菴はコーヒーの赤い実から、かんざしの玉飾りを思いついたのでしょう。これが「珈琲」という漢字表記の由来なのです。

これをそのまま用いていれば、英語やフランス語の発音に近かったのでしょうが、オランダ語の表記が「koffie」だったことで、「コーヒー」という長母音を用いた表記が定着してしまいました。なお喫茶店を意味する「カフェ」は、フランス語の発音から取ったものです。ということで、津山市は「珈琲」という表記発祥の地ということになります。

榕菴のすごさは、「珈琲」だけではいい尽くせません。『蘭和対訳辞典』を作る中で、当時の日本に存在していなかった西洋の言葉に、次々と漢字をあてていったからです。特に化学用語の多くは、榕菴が案出した造語といっても過言ではありません(もう一人、西周も哲学などの用語をたくさん造っています。)。

まず元素という言葉を造り、そこから酸素・水素・窒素・炭素などの元素名を案出しています。化学用語としては、酸化・還元・溶解・気化・凝固・昇華・沸騰・蒸気・飽和などはもとより、物質・成分・法則・分析・濾過・装置・圧力・温度・結晶・中和・試薬・繊維などもあげられます。他に生物学用語としての細胞や属も榕菴の造語とされています。

こうしてみると、現代人は榕菴が考案した造語の恩恵を日常的に受けていることになります。「珈琲」もその一つだったのです。何故「津山洋学資料館」を訪れた時、もっと榕菴に関心を持たなかったのか、悔やまれてなりません。

※所属・役職は掲載時のものです。