『赤毛のアン』に会いたい―モンゴメリ生誕150周年を記念して―表象文化学部連続公開講座②を開催

2024/11/15

自然の美しいプリンス・エドワード島を舞台に、孤児院育ちのアンが、持ち前の想像力とエネルギーで周囲の人々と共に成長していく『赤毛のアン』シリーズ。アンの愛と挑戦の物語は、出版からおよそ120年、いまだ私たちを魅了し続けています。英語英文学科では、作者であるルーシー・モード・モンゴメリ生誕150周年となる今年、多角的な視点から理解を深め、魅力を再発見することを目的として、連続公開講座を企画しました。その第2回目の開催報告です。

 

テーマ「アンのおしゃべりと想像力-『赤毛のアン』の中の『ジェイン・エア』とシェイクスピア-」
日時:2024年11月8日(金)16:50~18:00
場所:今出川キャンパス楽真館R401教室
 

第2回目の講座では、英語英文学科の木島菜菜子准教授が、文学研究者の視点から、『赤毛のアン』を多様な切り口で掘り下げました。

今回の講演では、Netflixシリーズ『アンという名の少女』に登場するアンが、頻繁に『ジェイン・エア』のジェインを引き合いに出す理由について考察されました。木島准教授は、まず、シャーロット・ブロンテの小説『ジェイン・エア』におけるジェインの人物像を紹介しました。ジェインは孤児として厳しい幼少期を過ごしながらも、誠実さや道徳心を大切にし、信念に従って自立していく強い女性です。このようなジェインの特性が、同じく困難を乗り越えようとするアンと類似点を持つことから、アンは自身をジェイン・エアに重ねていること、さらにアンの読書力や豊かな想像力がこの『ジェイン・エア』への言及の中で表現されていると木島准教授は指摘しました。また、原作『赤毛のアン』にも、アンがジェイン・エアに共感していることがほのめかされていると述べました。

その一方で、ジェインとアンの発話の扱われ方には違いがあることが注目されました。ジェインは物語の中で沈黙を強いられる場面が多いのに対し、アンは自由に話すことを許され、三人称で語られる『赤毛のアン』の中ではアンの個性が強く表れます。特に、物語の中で二階に上がるシーンに焦点を当て、ジェインが閉塞的な状況にいるのに対し、アンは解放的な風景に囲まれ、両者の状況が対照的に描かれている点が興味深いと述べられました。こうした違いが『赤毛のアン』のフェミニズム要素の特徴を際立たせており、木島准教授はその点を高く評価し、観衆に深い印象を与えました。

さらに、アンがマリラに自分を「コーディリア」と呼んでほしいと頼むシーンについても掘り下げられました。コーディリアはシェイクスピアの『リア王』に登場する誠実で控えめな娘であり、アンは自身をそのような悲劇のヒロインに重ねて、孤児である自分が理想的な娘となりたいという願望が込められていると分析されました。ここでも、モンゴメリの対比的なキャラクター設定が際立っており、無口で控えめなコーディリアと、おしゃべりで表現豊かなアンの違いが強調されました。また、年老いたリア王がコーディリアによって本質を悟らされるように、『赤毛のアン』でもアンが大人たちに影響を与え、変化を促していく様子が描かれています。こうした点にモンゴメリのユーモアセンスがみられると、興味深く指摘されました。

続いて、『赤毛のアン』の第一章、リンド夫人の無神経な発言を受けてアンが感情的に反応するシーンも取り上げられます。ここでは、アンの強い自尊心や感情豊かな一面が示される一方で、リンド夫人の名前から作品の書き出しが始まることによって、リンド夫人がアンの魅力を引き立てる重要な役割を果たしているということが示唆されました。木島准教授は、このシーンが物語の重要な出発点であり、アンの柔軟な思考と言語表現力が表れる読みどころのある場面だと評価しました。

また、イギリスの産業革命とその後の都市化による背景が『赤毛のアン』に与えた影響についても触れられました。産業革命に伴う都市化に対して、自然や田園風景を理想化するパストラルへの憧れが強まり、それと同時にロマン派思想が広まりました。この背景が『赤毛のアン』にどう影響を与えたのかを探るとともに、アンが暮らすプリンス・エドワード島の美しい自然がイギリスの読者にとって理想的な田園生活を想起させ、物語への郷愁を呼び起こした可能性が示されました。

本講座には、学生、教職員、そして一般の方々約40名が参加し、作品への理解を深め、心温まるひとときを共有しました。
次回(第3回)の講座は11月15日(金)16:50~18:00に開催予定です。

241115_report_representation_1.JPG
241115_report_representation_2.JPG