新島記念講堂 墨書「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された」

2022/10/12

新島記念講堂 墨書

京田辺キャンパス 新島記念講堂傍の掲示板に、墨書を掲示しています。創立者新島襄のことばに思いを馳せていただけたらと思います。

神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された

掲示期間:2022年6月14日(火)より

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これは、新島が「神の聖なる言葉のページの上に輝くすべての星ぼしの中の太陽」とまで呼んだ聖句です。1874年5月10日マサチューセッツ州レキシントンのハンコック教会での説教で、新島は次のように話しています。

 

私が選びましたこの聖句は新約聖書の中でも大層目立つ、特異なものでありまして、数多くの聖書の読者がこれに惹きつけられてきたように思います。この聖句は福音の真理の神秘を美しく解き明かすものでありまして、何故神が愛する御子をさえ惜しまずにこの世にお与えになったのか、またいかなる条件の下でなら、この罪深い人類は永遠の命を得ることができるのかという問題を、はっきりと説明するのであります。まことにこれこそは福音物語の真髄であり、地上で私たちの救い主が果された役割の意味を解くカギであります。

 

出典および参考

同志社編『新島襄教育宗教論集』岩波文庫142-143頁

 


庭上一寒梅 笑侵風雪開 不争又不力 自占百花魁

掲示期間:2022年2月14日(月)より2022年6月14日(火)

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解釈

庭先の一本の梅の木、寒梅とでも呼ぼうか。
厳しい風に耐え、冷たい雪を忍び、 笑っているかの様に、平然と咲いている。
別に、誰かと争って、無理に一番咲きを競って努力したのでもなく、
自然にあらゆる花のさきがけとなったのである。
まことに謙虚な姿で、人間もこの寒梅のようにありたいものだ。

平松譲二 「新島襄の言葉―庭上の一寒梅 笑うて風雪を侵して開く争わず又力めず 自ら占む百花の魁」 『同志社時報』第128号(2009年)表紙裏

 


耶蘇教ハ 何ソト人 問ハレタレハ 答テ曰ハン、 愛以貫之

掲示期間:2021年9月15日(水)より2022年2月14日(月)

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出典および参考

新島襄全集編集委員会編『新島襄全集2 宗教編』178頁

同志社編『新島襄教育宗教論集』岩波文庫177頁