患者さんに選ばれるということ

2018/05/07

東 真理(看護学部 看護学科 実習助教)

私が主任看護師をしていたころ、ある後輩看護師がいいました。「患者さんは24時間病室にいらっしゃるけど、看護師は勤務時間が変則で、担当も代わります。自分が勤務をするときに挨拶に行って、患者さんが「あー貴方でよかった」と思われるような看護師になりたいです」と。私はこれを聞いて、大変すばらしいことだと思うと同時に、看護の実践の中でこういう気づきが出来るような、豊かな経験をしたのだろうと嬉しく思いました。

患者さんから選ばれる看護師、患者さんが選ぶ看護とはいったいどういうものでしょう。私は神経内科病棟でALSという身体を動かすための神経が徐々に壊れていってしまう病気の患者さんと関わったときに強く思いました。この病気は、うまく体が動かせず、筋肉がだんだん縮み、力がなくなります。しかもこの病気は進行性の病気で、今のところ原因が分かっていないため、有効な治療法がほとんどない予後不良の疾患と考えられています。今のところ日本では7,000名くらいの患者さんがいると言われています。(平成16年のデータ、一般社団法人日本ALS協会)

私が勤務した神経内科病棟では、常時、3名ほどのこの病気の患者さんが入院されていました。その病棟に移動して間もなくのとき、ナースコールが鳴り、手足やからだが動かず、会話もできない状態まで進行しているYさんのベッドサイドにいきました。Yさんは、ベッドに吸い付いているかのように、ぺたんと、半分うつぶせで横たわっていました。訪床した私の顔を見るなり、「あ~」と発声し、眉間にしわをよせました。その様子から、「他の看護師に交代せよ」と伝えていることがわかりました。その当時、すっかり中堅の看護師でしたが、体に触れることすら、させてもらえませんでした。中堅の看護師とはいえ、体の向きを変えることすらできないのかと、とてもショックでした。と同時にこの患者さんの体位変換をさせてもらえることが、この病棟では一人前を意味していると思いました。

そこで私は、Yさんのケアに慣れている別の看護師へ交代し、どのようなやりとりをしているか、注意深く観察しました。その看護師は、Yさんと交わす言葉は少なくとも、やすやすと体位変換をしていました。Yさんのからだは、柔らかなのし餅のようで、ゆるゆるとしていました。かろうじて、お顔と右の薬指が少し動かすことができました。全身のほとんどの筋肉がゆるみ、関節も安定しないので、Yさんのケアは、これまで経験してきた「体位変換の技術」では立ち行かないと思いました。

私はYさんのナースコールのたびに足を運びました。何度も言葉にならない声で「代われ」と言われましたが、当初受けたショックはありませんでした。それよりも、早くこの患者さんのからだの向きを変えたいという思いのほうが強くありました。Yさんは何度もやってくる私に、少しずつ近づく許可をしてくれました。はじめは枕を動かすだけ。次に枕と手、枕と手と足というように、させてもらうことが増え、ついには、繊細で絶妙な位置のナースコールを押す指の調整までまかせてもらえるようになりました。笑顔でありがとうといってもらえるようになりました。

Yさんはケアされる側で、私はケアする側です。Yさんは苦痛のない方法でからだを動かしてほしいと求めていたと思います。私はそれをしなければならないというより、Yさんの気持ちよさそうな顔を見ることを求めていたと思います。端からみれば、「ニーズの充足をするための体位変換」と見えたでしょう。しかし私はそれ以上の、その場を共有し双方が影響しあう関係であったと思います。ノディングズは「あきらかに、ケアされるひとは、ケアするひとに依存している。ケアするひともまたケアされるひとに依存している」といっています。つまり、私にとって、Yさんのケアは、看護師としての自信と成長をもたらしたと思います。「患者さんが選ぶ看護師」とまでは程遠くとも、少なくともYさんには選んでもらえる看護師になったと思います。

文献

日本ALS協会(参照2018年3月31日)

・『ケアリング 倫理と道徳の教育―女性の観点から』
   ネル・ノディングス著、立山善康、林泰成、清水重樹、宮崎宏志、新茂之訳   2003年1月15日初版3刷 昇洋書房

 

※所属・役職は掲載時のものです。