同志社と看護:新島の志を思う

2018/03/19

岡山寧子(看護学部 看護学科 教授)

2015年,同志社女子大学に看護学部がスタートしてから3年が経とうとしています。いよいよ4年目を迎え,学部の完成年度となります。あっという間だったような,長い道のりだったような3年間でした。思いもかけないことも多々ありましたが,学生と共に少しずつ成長していることを実感しています。この間,いつも中心軸にあったのは,「同志社女子大学らしい看護学教育の実践」でした。そのために,本学の教育理念に基づいて,どのような教育を展開していくのかについて様々な議論を重ねてきましたし,これからもこだわり続けていくと思います。中でも,創立者の新島襄の医療・看護に対する深い思いを受け継いでいき,その上で,「現代の看護ニーズに対応できる看護実践力を備えた質の高い看護職者の育成」をめざしていきたいと考えています。

昨年,同志社病院・京都看病婦学校での教育開始から130年目となりました。新島は,看病婦学校設立に向けて「病人の心を思いやり、真実の愛心を以て病人の為にする人が入用である」と述べています。そして、設立の目的を「病人の苦痛を救うこと」,「看病人を養成すること」,「病人の心を慰めること」の3つを挙げています。特に,病人の気持ちになって看病することをしっかり勉強するようにと示しています。また,「看病婦の熟練したるものは,医者の薬法よりも大切なる事」とも述べ,看護の力は凄い,熟練といっても機械的な熟練ではなく,精神的な熟練が必要だとも明言しています。これは現代にも通じる看護の姿,「看護の心」だと思います。私は,これらを読み解いていく中で,ここまで病人の立場に立った新島の志にはどのような背景があったのだろうかと,考えるようになりました。

当時,同志社に医学部設立を目指していた新島は,キリスト教的な福祉観や隣人愛,あるいは他者のことを思う気持ちは医療分野には欠かせないと考えていたことは違いありません。はたして、それだけなのでしょうか。もう一つ,彼の生涯を振り返ってみると、若い時から病気と共にあったと言っても過言ではないほど、多くの病気を経験していることがみえてきます。自らを「諸病ノ問屋」とか「病魔之囚人」などと述べるくらい,病弱であると自覚していました。その時の療養体験から導かれた考え方も一因だったのではないでしょうか。そんなことを考えながら,新島の療養体験と看護に思いを馳せたいと思います。

新島の病気については様々な論文があり,詳細はそちらを参考にしていただきたいのですが,少し紹介しますと,10歳代終わりの頃に「はしか」にかかり,回復に3ヶ月を要しています。その後,20歳半ばの頃,アメリカ留学中に「リウマチズム」となり,たびたび高熱や心臓発作に襲われ,ひどい苦しみを味わいます。リウマチズムを今日風にいうと溶連菌感染症後のリウマチ熱発作,時を経て僧帽弁閉鎖不全の症状が出現するということで,40歳頃には心不全の状態となり日常的な暮らしを妨げる状況になってきたとのことです。この間,様々な病院での入退院,温泉地での療養や保養を繰り返します。それらを通して,新島は,当時最先端であった衛生思想や医療・健康情報得ることができ,また患者としてどのような医療や看護を受けたいのかということを体験の中からが導き出していたのではないでしょうか。加えて,ロンドンの聖トマス病院を視察していることなどから,近代看護の母といわれるF.ナイチンゲールの看護を知る機会を得ています。そして、アメリカでの入院・療養を通して、最新の看護実践を患者として目の当たりにしたのではと推測されます。その頃のアメリカ東部では,病院の発展と共にアメリカ型のナイチンゲール看護が急速に広がった時代でもあります。アメリカで実践されていた近代的な医療や看護は,当時の日本ではまだまだ始まっておらず,専門的な教育を受けた看護職はまだ存在しない時代でした。残念ながら,今のところどのような医療や看護を具体的に体験したかについてまでは,詳しくはわかりません。しかしながら,同志社病院・京都看病婦学校設立に向けて,新島は,願いを込めて,病人の苦痛を救えるよう,患者の心を慰め,患者の気持ちをまず受け取ることができるような看護を勉強するよう,学生達にエールを送ってくださったのではないかと思います。

このエールを胸に,看護学部はスタートしました。今の看護学生達は,実に多くのことを学び,保健医療福祉サービスの多様化や医療体制の複雑化などに対応できる,包括的で柔軟なそして質の高い看護を実践する力をつけることが求められています。それ以上に,幅広い人間力や人を思いやる心をしっかりと培っていくことがとても大切だと感じています。そして,看護職になっても「看護とは何か」「こんな看護がしてみたい」という思いを原動力に,「心を思いやり、真実の愛心を以て」看護を実践する「看護の志」を持ち続けられるようにと願っています。

最後に,新島の最期が近づいた時,京都看病婦学校の卒業生不破ゆう(2期生)が手厚く看護をしたことが知られています。もう一人,有志共立東京病院看護婦教育所(現慈恵医科大学・看護学科)の卒業生鈴木きく(1期生)も共にあったことが記録に残っています。2人共、当時としては最先端の近代看護教育を受け,経験を積んでいました。はたして,新島は思いえがいていた良質の看護に出会えたのでしょうか。その手掛かりとなるのか,新島のある書簡の中に,不破ゆうの看護について「・・・実ニ摂生法ニオイテハ申シ分ナキ・・」と述べているということです。

 

※所属・役職は掲載時のものです。