看護を現場で学ぶこと:看護基礎教育の役割について

2017/11/09

片山由加里(看護学部 看護学科 准教授)

「失敗しないと人は学ばない。」と最近、メディアからそういう言葉を見聞きする。成功体験しかして来なかった高学歴社会人の問題解決能力の乏しさは、即戦力にならない新人を運用しなければならない管理者の教育論議となっている。しかし、許されない「失敗」のあるのが医療現場である。医療現場で働く看護師にも、医療ミスは決して許されない。従って、看護師は、大学や専門学校といった看護基礎教育機関において一定のトレーニングを積んでから国家試験受験資格を取得し、資格免許を手にした後も、組織の研修や先輩の指導を受けながら実践経験を重ねていく。近年、看護系学部や大学院の設置が急増し、看護職の高学歴化が生じているが、現場では、新人看護師の実践力低下、看護師の離職など人材問題が困難を極めている。世間一般が直面している新人社会人問題は、看護職の教育論議とも共通しているようである。

ところで、向後(早稲田大学)は、学習理論「領域固有性と転移」の概念から、大学教育の役割が、「学生たちのこれまでの生活史上には存在していなかった世界観を伝えることである」と述べ、そのための教育方法を、「彼らをその専門の世界に引き込み、彼らがその世界観を持って現実を見ることができるようにすること」と説明している注1)。このベースにある認知心理学研究の「初心者が熟達者になる過程」では、「専門分野における問題解決能力が、日常や他分野の経験で身に付けた問題解決方法では通用せず、その領域に固有の知識が不可欠である」ことが明らかにされている。これらの知見からは、その専門領域の中で意味のある失敗をすることが重要であるといえる。つまり、大学教育の中で、十分な「失敗」をしてこなかった新人は、その時期に「自分の世界」が変わっていることに気づいておらず、「自分の力」が通用すると思い込んだまま社会人になってしまっている可能性が高いといえる。

それでも、看護学部の学生には、1年から4年までの全学年で、医療現場で実際に看護を行う「臨地実習」注2)がある。学生の大半が高度医療を担う病棟の看護師として就職することからも、「臨地実習」は重要な経験となる。学生たちは、この実習によって、「今までの知識と技術だけでは全く通用しないことが解った」、「受験勉強をした時よりも精神的にも体力的にもきつかった」、「大学で習ったこととは大きく違い、講義や演習よりもずいぶん力がついた」などと思いを口にする。医療現場には、大学キャンパスの日々には起こりえない想像を超えた世界が存在する。学生たちは、自分の見るべき世界が激しく変わっていくことを全身で感じとることとなる。

それでは、「臨地実習」で体験する「失敗」とはどのようなものだろうか。例えば、「看護する側にとっては必要と思って関わっても、患者の良好な反応や健康回復にも繋がらない」場合がそうであろう。最たる事態の例としては、「学生が何らかの援助をしようと考えてベッドサイドに臨んでも、患者から『そばに来ないで』と言われる」場面が挙げられる。学生にとってはつらい体験である。しかし、その体験は教育的な意味を持つ。その人に関わろうとするのであれば、「患者の病状やニードはどうか」、「今、優先すべき援助は何か」、「その人に合ったタイミングや方法は何か」、「確かで速やかに援助を行えるのか」といった様々なことが取り揃っていなければ効果的な看護ができないことを、学生が真に知るチャンスだからである。「私の患者さん。」そんな風に呼ぶ学生の言葉は大きい。一人の患者にコミットメントし、今の自分が相手のためできることを精一杯考え、そうしてとった行動の結果としての「失敗」は、その学生の心に刻まれる成長ポイントとなる。

とはいえ、単に、実習に出れば、「領域固有性と転移」が起きるわけではない。看護の学士号を持つためには、医療現場のみならず、日常にも溶け込んでいる「看護」を理解できなければならない。看護は生老病死に関わる人間の営みであり、家族や地域、学校や職場における通常の行為である。生活に伴う健康課題を看護専門的な視点によって見つめる場面は、普段のキャンパスの中にも常に存在する。

看護基礎教育では、学生を看護の世界に引き込み、その世界観で見ることのできるようにすることが大切であろう。とくに、許されない「失敗」のある医療現場に出るまでに、いかに看護の力を身に付けさせることができるかは、今後も、教員に問われることであろう。

 

注1)向後千春「大学教員のためのインストラクショナルデザイン入門」同志社女子大学FD講習会、2015年10月より。

注2)舟島なおみ「看護学教育における授業展開」医学書院、2013年より、以下引用。
「『実習』は、講義、演習と同様に授業の基本形態であり、講義や演習を通して修得した知識や技術を実際の場で活用、展開する形態の授業である。教員免許のための教育実習、看護職や医師、薬剤師国家試験受験資格取得のための実習がこれに該当する。看護学の学習においては、実際に看護が提供される場に臨んで学習する場合のみを『実習』としており、1996年度に公布された保健師助産師看護師学校養成所指定規則の改正以降、『臨地実習』から『臨地実習』と称されるようになった。」(p7)
「この授業の長所は、看護が展開される実践の場に即した知識や技術、そして態度の修得を可能にすることである。一方、看護の対象者をはじめ、教授者、学習者以外に、看護師、医師、理学療法士など、医療職者の存在が授業に強い影響を及ぼす。」(p7)
「看護学の実習は、看護学教育最大の特徴であり、学生の基礎的な看護実践能力習得に不可欠な授業である。看護学実習とは、学生が既習の知識と技術を基に、クライエントと相互行為を展開し、看護目標達成に向かいつつ、そこに生じた看護現象を教材として、看護実践に必要な基礎的能力を習得するという学習目標達成を目指す授業である。」(P173 )

 

※所属・役職は掲載時のものです。