手と目(看)で見てまもる(護)を実感した出来事

2017/09/01

野々口 陽子(看護学部 看護学科 実習助手)

「みる」という漢字はご存知のとおりひとつではありません。一番一般的なのは「見る」だと思いますが、この字は目で見ることすべてを指しています。その他に「診る」「看る」「視る」「観る」があります。「診る」は診察する、「看る」は世話をする、「視る」は調査する、「観る」は見物する、という意味が含まれています。
一方で、「まもる」という漢字は「守る」が一般的ですが、「護る」には防衛の意味があり、ただ守るだけではなく悪いことを事前に防ぐという意味を含んでいます。
つまり「看護」は、手と目で見て観察し、状態が悪化しないように事前に予防しながら患者を援助するということを意味しています。


少し前のことになりますが「手と目(看)で見てまもる(護)」をあらためて実感した出来事がありました。昨年の冬に初めて人間ドックを受けた時のことです。その中に胃カメラの検査がありました。過去に経験したことがあったので、胃カメラは私の中では比較的楽な検査という位置づけでした。しかしそれは大きな間違いで、この時はかなり苦しむことになりました。当日の体調や精神状態がたまたま良くなかったからなのか、事前におこなう咽頭の麻酔が不十分だったのか、医師の手技が上手でなかったのか、それらすべてなのか、とにかく過去に受けたときに楽々終わった検査と同じとは思えない苦しさでした。検査の時間は20分程度だったと思いますが、私にはその時間が何時間にも感じました。嘔吐反射、喉の痛み、何とも言えない胸の苦しさで力の入る私に対し、医師の手技にも力が入るためか、負の連鎖でそれらの苦痛は増強する一方でした。
意識が遠のきそうになるのを感じた時、検査の介助についていた看護師さんが、背中をさすりながら「大丈夫ですよ。肩の力を抜きましょう。」と声をかけてくれました。彼女は検査の間ずっと私に声をかけ続け、一瞬も手を止めることなく私の背中をさすっていてくれました。この看護師さんがいなかったら私は本当に意識を失っていたかもしれないと思います。この看護師さんは背中をさすりながらその手で私の緊張や不安をとらえ、意識や呼吸の状態、嘔気を観察し、必要な援助や検査の介助をして私を護ってくれているのだと感じました。


あらためて看護師の役割を実感するとともに、患者にとって看護師の存在は本当にありがたく、「看護ってほんまに偉大やわ」と感じた出来事でした。

 

※所属・役職は掲載時のものです。