新発見のブランカフォルト宛モンポウ書簡

2017/08/01

椎名 亮輔(学芸学部 音楽学科教授)

 

私はここ数年、本学の諸紀要に、20世紀カタルーニャの重要な作曲家、フラダリック・モンポウとマヌエル・ブランカフォルトの往復書簡を発表させていただいている。その成果は発表順に、原資料収集時にお世話になったバルセロナのモンポウ財団などに送っているのだが、そこから最近、新たにブランカフォルト宛のモンポウの書簡が発見されたといって、送ってきた。

モンポウ財団の事務長であるベルタ・ミリャさん(会長のジョアン・ミリャ氏の娘さん)から同封の手紙(5月12日付)にはこうある。「先週、あるコンサートでマヌエル・ロマニ・ブランカフォルト、作曲家マヌエルの年長の孫たちの一人、に会いました。彼は最近、たくさんの書類の中から、なくなったと思っていたモンポウからのオリジナルの手紙を一通見つけたと話しました。それは1919年のものです。彼はその後、私にそれをコピーして送ってくれました。オリジナルは、おそらくカタルーニャ図書館に寄贈したと思います。彼の許可を得て、あなたにそのコピーを送ります。これがあなたの翻訳のためには「おそすぎた」ことは残念です」。

たしかに、すでに私はこの時期の書簡(1918年から1921年まで)は翻訳とともに発表してしまっていた(同志社女子大学『総合文化研究所紀要』第32巻、97~126頁、2015年)。そこでベルタさんは「おそすぎた」と言っているのである。しかし、これらは「彼らの」書簡ではなく、つまりこの時期にモンポウからブランカフォルト宛の書簡は一通もなかったので、ブランカフォルトの手紙だけで発表したのだった。その意味で、今回の発見は大変に貴重である。

私がすでに発表した部分の中、今回発見された手紙がどこにあてはまるのかを見てみるとやはり興味深い。ちょうど書簡13が1919年11月14日の日付をもち、次の書簡14は同年同月20日である。そして、書簡12(11月11日付)では新発見の手紙で言及されている「雑誌」のことが、「雑誌は、そろそろ届くだろう」と述べられている。今回発見の手紙の冒頭には、ブランカフォルトの鉛筆によるメモが書かれているが、そこにあるモンポウ作曲の《魔法の歌》について、まさしく書簡13では「ぼくの頭の中は「魔法の歌」でいっぱいだ」と述べられている。

さて、以下で御紹介するのはその新発見の手紙の翻刻と日本語訳であり、私の継続している往復書簡紹介の「補遺」ということになるだろう。実際の手紙のコピーも添付する。

[翻刻]

16 nosbre [novembre] 1919

- Cants Màgics
- m'impulsa a composar
musica catalana

Amic.

M'estranya molt no
haver rebut H. la revista
quan aquesta es va enviar
certificada. Aixis és qu'es podrá
fer la corresponent reclamació
en el cas de no rebrela.

Tocades les teves [oracions inge-
nues]. M'agraden molt i ja
parlarém analiticament el
dia que baixis i [puguis]

L'altra nit van venir a
casa per sentir les meves
obres una [seria] de critics
de lo millor de la floraixen-
ta Catalunya. No't diré més
que la meva personalitat va
quedar definida. Tots ells
van sentir una sorpresa
forssa inesperada junt amb
l'alegria d'haver trobat un
music catalá. (ja veus!)

Els cants Magics gran exit

Estic molt animat i
prego que se traspassi aquest
entusiasme al teu esperit
prometedor per formar
part de la nova juventut
musical de Catalunya.

En tot en món s'han fet
moltes coses en el silenci

Ara lleigeixo com adelanta
la musica moderna en els
joves Italians dels quals ma
faig enviar quelques obres
També els joves Austriacs
com igualment els joves
Anglesos.

Apa amunt els Ermi-
tans joves, aquesta nacionali-
tat desconeguda en el
mapa [empenta] en el
silenci de la lluita!

Frederic.

16 Novembre 19.

[日本語訳]

1919年11月16日

—魔法の歌
—が私をしてカタルーニャ音楽を
作曲させようとする[冒頭に鉛筆書き]

友よ、

[H]雑誌をまだ受け取らないのは
とても不思議だ、それが
書留になっている
のに。これだから、
郵便局に苦情を訴えてもいいね、
[書留を]受け取ってないからね。

君の[純真な祈り]
を弾いてみた。とても気に入ったよ、
君が[バルセロナに]やって来て[できる]
日に分析的に話をしよう。

先日の夜にうちに
ぼくの作品を聴きに
カタルーニャの花盛りの
最上の部分の批評家の[グループ]
がやってきた。これ以上君には言わないが、
ぼくの個性は
決定的にとどまっている。彼ら全員が
ひとりのカタルーニャ音楽家を
発見したことに、喜びとともに
かなり期待していなかった驚きを
感じたようだ。(ほら見たまえ!)

魔法の歌は大きな成功を得た。

ぼくはとても勇気づけられた、そして
この勇気を君の精神に、
カタルーニャの新しい
若い音楽を形作る気持ちでいっぱいの
君の精神に吹き込みたいと
思う。

みんなのところで、多くのものごとが
沈黙のうちに行われたのだ。

今ぼくは、イタリアの若者たちのうちで
現代音楽がいかに進歩しているかを
読んでいるが、そのいくらかの[原文フランス語]
作品をぼくのもとに送らせている。
オーストリアの若者たちも
イギリスの若者たちも
同じだ。

さあ! 若い隠修士たち、
この地図上に存在しない
国民の上に、
戦いの沈黙のうちに
[進もうではないか]!

フラダリック

1919年11月16日

 

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実際の手紙のコピー1

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実際の手紙のコピー2

※所属・役職は掲載時のものです。