老年的超越と高齢者看護の魅力
小松 光代(看護学部 教授)
日本人の平均余命(2015)は、男女平均83.7歳(男性80.79歳、女性87.05歳)と世界でも有数の長寿国です。しかし、残念ながら身の回りのことが自分でできる健康寿命は男女共に70歳代で、誰もが「人の世話になりながら生きたくない」と言うものの、大なり小なり支援を受けて生活する期間が10年余りあります。ぽっくり逝くことは理想ですが、「人は人の世話にならずには逝けない」とは、大勢の高齢者を看取った高齢者施設の管理者の弁です。日常生活に援助を要する要介護状態にある人や一見、押し黙り、意思を表出できないように見える重度の認知症の人とのこれまでの関わりを通して、「はっと」気付かされる瞬間は数知れず、この瞬間こそが高齢者看護のやりがいであると感じています。
従来、ライフサイクルの心理社会的発達課題は、8段階(E.H.エリクソン)でしたが、エリクソン自身が90歳代で他界した後出版された著書ではその後の段階が発表されました。つまり、老年期に次ぐ超高齢期(一般的に85歳以上)には、身体機能の低下や社会・人間関係の縮小により心理的な危機状態に陥るが、それを克服し適応すると老年的超越に達するとしています。スウェーデンの社会学者Tornstamは、老年的超越(gerotranscedence)を「物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化」と定義し、「宇宙意識」「自己意識」「社会との関係」の3つの要素から構成されると述べています。
国内でも同様に日本独特の老年的超越に至る要素が報告されています(増井ら2013,老年社会科学,35(1):pp50)。それらは、『「ありがたさ」・「おかげ」の認識』(他者に支えられている認識と他者への感謝の念が強まる)、『二元性からの脱却』(善悪、生死、現在過去等の逆説の概念の境界が不明瞭)、『基本的で生得的な肯定感』(肯定的な自己評価やポジティブな感情を持つ)、『無為自然』(「考えない」「無理しない」等あるがままの状態を受容)、『利他性』(自分中心から他者を大切にする姿勢)等です。宇宙的や超越的というとあやし気に聞こえますが、私自身も高齢者からこれらを確認しています。最後まで成熟し続ける人生の先輩から教えていただくことはまだまだ多いと実感しています。
私が出会った又は間接的に聞いた最近の高齢者との会話から
『ありがたさ・おかげ』の認識
Aさん100歳代:難聴のため書字によるコミュニケーションを要したが、最期までしっかりとされており、何事においても「ありがたい」「もったいない」と手を合わせておられた。
『基本的で生得的な肯定感』
Bさん80歳代後半:家事や家族の世話(役割)はさせてもらえることがありがたい。仕事をさせてもらえること、与えられていることを喜んでやります。
Cさん90歳前半:宿命は変えられないが、運命は自分で変えることができる。
『無為自然』
Dさん80歳後半:生きていると不安はたくさんある。でも、すぐに解決できる不安は、明日に持ち越さず、今日中に解決して明日のことは明日考えるようにしている。
Eさん90歳前半:七夕の短冊に書く願い事を提案する際「良いことがありますように、沢山ありますようにと書きましょうか」の問いに、一旦うなずいた後、「沢山はいりません」と、とても控えめにつぶやかれました。
『利他性』
Fさん80歳後半:身体は動かなくても口は動くから、皆が幸せに暮らせるように毎日拝んでいます。私にできることはそれくらいです。
これらの言葉からは、生涯発達し続け老年的超越に到達したモデル像をイメージでき、身体の衰えの一方で精神的な成熟を感じ、楽観的な予感すらもちます。つまり、これらには、年齢に関係なく自立をめざし、思いやりを備え、社会的存在として生活する一人一人の尊厳が現れていると感じます。
生活機能が低下した状態や外見、認知機能の低下のみにとらわれることなく、心の声、キュー(しぐさ)、ふと発せられた言葉を慎重に聴くと、意思表出や心が通じ合う瞬間に出会えます。これが高齢者看護の魅力です。
※所属・役職は掲載時のものです。