看護とHeart・Hand・Head
當目 雅代(看護学部 教授)
看護系大学のカリキュラムは看護師免許の受験資格を得るために文部科学省・厚生労働省合同省令保健師助産師看護師学校養成所指定規則に基づいた単位数を取得するとともに、大学独自の科目を含めて構成されています。指定規則では「看護師教育」の基本的考え方として、看護実践を行う上での基礎的能力を養うことが示されています。この看護実践能力は「Heart(態度)・Hand(技術)・Head(知識)」の3つの要素で構成されています。私は看護学部の1年生が初めて「看護」と向き合う科目「看護学概論」を受け持たせてもらっています。この講義の中でも、“3つのH”についてふれていて、看護実践のためにはいずれも大事な能力だと伝えています。しかし、講義ではあえて「あなたはこの3つのHでどれが一番大事な能力だと思いますか。」と聞いています。その結果、最も多かったのがHeart(態度)で46人(64%)、次いでHand(技術)が14人(18.7%)、Head(知識)が13人(17.3%)でした。Heartと答えた学生の理由は、「心と接する仕事だから・患者を思いやる心が大事・技術は練習すれば習得できる・助ける気持ちがないと看護は始まらない・患者を安心させることが大事」などでした。Handの理由は、「注射など患者に痛い思いをさせないで済む・技術がないと命を救えない・自分だったら技術の優れている人に処置をしてほしい・医療行為ができないと看護の責務が果たせない」などでした。Headの理由は、「知識がないと現場で臨機応変に動けない・技術が身につかない・知識がないと何も対処できないし、判断できない・理解しないと実践できない」などでした。4月の時期の看護学部1年生でも意見が分かれ、それぞれの理由もなるほどというものでした。同じことを経験年数や所属部署などの違う看護師に聞くと“3つのH”でどれが一番大事かという回答も違ってきます。私はその違いこそが“看護観”の違いだと思います。“看護観”とは看護のものの考え方・見方のことです。看護師が100人いれば、100通りの看護観があります。それは看護を学んだ教育内容、看護の経験年数、所属部署などによっても違ってきます。同志社女子大学看護学部の教育を通して、看護学部の1年生が今思っている「あえて一番大事な能力」が学年進行に伴い“変わるのか・変わらないのか”を楽しみにしたいと思っています。
また、看護1年生に“看護とはなにか”を考えてもらうために、増田れい子さんの「看護ベッドサイドの光景(岩波新書)」を読んでもらっています。増田さんはルポライターの立場から、“看護とはなにか”をすい臓がんで8時間手術をした患者さんとその受け持ち看護師へのインタビューを通して書いてくださっています。本を読むまで看護1年生の“看護”のイメージは「医者の手伝い、患者の世話をする人」でした。保健師助産師看護師法第5条の“看護師の定義”では「傷病者若しくは、じょく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。」と規定されています。看護1年生のもつイメージと同じです。しかし、この本を読んで「療養上の世話と診療の補助」の仕事をうまく行っていくためには、看護師の専門性の発揮と見えない努力の必要性を学んだようです。私が本の中で学生に強調して伝えている文章があります。「看護は、患者の過去と現在と未来に向けて全面展開されるストラテジー(戦略)であることがよくわかる。過去をつぶさに押さえなければ、いまなすべきことが明確にならなし、起こりうる危険を予測することもできない。」という文章です。“看護”とは何かを的確に表現している内容だと思っています。このストラテジーを立てるために看護師は過去・現在・未来にわたって患者さんの必要な情報を収集し、根拠をもって情報を判断し、看護上の問題(看護診断名)を挙げ、それらに対して患者さんに最も適した看護ケアを計画します。手術後の患者さんの場合、多い人で10個の看護上の問題が挙がってきます。患者さんは自分に10個の看護上の問題が挙がっていることは知りません。たとえば、看護師は手術後の患者さんに“清拭(体を拭くこと)”を実施するにあたり、“その患者さんにあった清拭”方法を検討します。手術による創部、バイタルサイン、日常生活動作の自立度・制限度などの情報から患者さんに負担をかけずに“清潔”を得る方法を考えます。“清拭”という見える看護に30分を要したとしたら、適切な“清拭方法”を計画するために同じくらいかそれ以上の時間をかけています。学生はこの本を通して、「患者さんに適した看護を提供するために、看護師は“見えない部分で努力する仕事”である」と感想を述べています。外側から見えない部分でも看護が行われていることを知る機会になるとともに、看護の奥深さに接したようです。
医師は手術や治療が上手くいくと“名医”・“神の手を持つ医師”と評価されます。一方、“名看護師”・“神の手を持つ看護師”は存在しません。増田さんは「患者さんが気づかぬうちに、看護はほどこされてゆくというべきだろうか。」と述べています。看護師は主役の患者さんをサポートする“名脇役”になれたときが、一番やりがいを感じるのだと思います。
※所属・役職は掲載時のものです。