歩行リズムと不安定な歩行リズムへのアプローチ
續田 尚美(看護学部 実習助手)
ヒトの最も基本的な活動である歩行能力は運動器機能の代表的な指標とされています。以前のコラム(5月9日掲載)では日常生活における運動習慣の重要性について書かせていただきました。超高齢社会を迎える今日、長い人生の中で身体活動の基盤となる運動器機能を健全に保つことの価値は高まっており、活発な高齢期を迎えるための工夫が求められます。今回は、ヒトの歩行リズムとその安定化についての試みを少しご紹介いたします。
歩行能力は加齢とともに低下します。高齢者の特徴的な歩行動態として、「歩行速度の低下」、「すり足」、「歩行姿勢の前傾」などが挙げられており、これらの変化の要因として、下肢の筋力や筋肉・関節の柔軟性といった運動器の機能低下が挙げられます。さらに、中枢神経系機能も歩行能力低下に大きな影響を与えることが指摘されています。
中枢神経系機能とは脳ならびに脊髄の総称のことです。主に呼吸をするためや心臓、手足を動かすための指令を出したり、記憶や感覚、感情をコントロールしたりと、ヒトが生きるために欠かすことのできない多様かつ複雑な働きをしています。その中で脊髄には、歩行のリズムを生成する中枢パターン発生器(Central pattern generator:CPG)が存在すると考えられています。通常CPGは安定した歩行リズムを作ります。しかしながら、加齢や疾病など何らかの要因でCPGの機能が低下すると、歩行のリズムが乱れて不安定な歩行となり、転倒を引き起こす要因になります。
不安定な歩行とはいったいどのような歩行なのでしょうか。ヒトの歩行において一歩にかかる時間は、それまでの一歩一歩にかかった時間をもとに次の新たな一歩に必要な時間を決めています。このようにして決められた一歩一歩は同じ間隔であり、歩行は常に一定の等しいリズムで歩行していると感じます。しかしじつは、一歩一歩にかかる時間は一定ではなく微妙に変化しています。なぜなら、ヒトの歩行はCPGが生成する歩行リズムに加え、身体の状態や歩行環境など、その時々の状況に合わせて主に3つの身体の働き【①筋肉や関節といった運動器、②視覚や聴覚、触覚といった感覚器、③歩行中の危険やその予測をする認知機能や感情】が変化しているからです。これらの身体変化による歩行の“微妙な変化”を調整する能力を「ゆらぎの性質」と言います。ゆらぎの性質が正常な場合は、急な身体の変化や歩行環境の変化によって乱れた歩行リズムに柔軟に対応し、再び安定した歩行リズムへ戻すことが可能です。しかしながら、ゆらぎの性質が低下している場合は急な変化に柔軟に対応できず、乱れた歩行リズムを元の安定した歩行リズムに戻すことが困難になります。したがって、歩行リズムは不安定となり、転倒しやすい状態になります。ゆらぎの性質についての詳しい説明は、また機会があればお話ししたく思います。
歩行リズムの改善を図るこれまでの研究では、歩行障害を有する者がメトロノームや音楽に合わせて歩行すると、バラバラで不安定であった一歩一歩にかかる時間が調整され、歩行リズムの改善を認めたと報告されています。つまり、外的な音刺激が歩行リズムを安定化させたと解釈できます。実際の医療現場における歩行訓練では、理学療法士が「いちに、いちに・・・」と掛け声をする場面がよく見られます。筆者はこれをヒントに「自らの掛け声」に着目し、平均年齢66歳の成人28名を対象にして自らの掛け声が歩行リズムにもたらす影響を検討しました。実験の結果、歩行リズムが不安定な者が、最も歩きやすいと感じるリズムで「いちに、いちに・・・」と自ら掛け声をしながら歩行した場合、歩行リズムの有意な改善を認めました。ヒトの身体運動は背景音のリズムの影響を受け、行動ペースが変化するという特徴があります。自らの掛け声においても背景音と同様に行動ペースに影響を与え、不安定であった歩行リズムを補強したと考察しています。
「自ら掛け声をしながらの歩行」は誰もが場所を選ばず実施できる、極めて汎用性が高い簡便な方法です。最近、つまずくことが多くなった方や、過去1年間で転倒した経験がある方は、以前と比べると歩行のリズムが不安定になっている可能性が考えられます。そのような時、自分で掛け声をしながらの歩行を少しでも思い出し、実践していただけますと大変嬉しく思います。転倒予防や介護予防の方策として幅広い人々への活用につながり、健康寿命の延伸を願って、今後も研究に励みたいと思います。
※所属・役職は掲載時のものです。