「挫折」を経験して

2016/03/10

橋本 秀実(看護学部 准教授)

看護学生だったとき、子どもの看護に携わりたかった。子どもが好きだからという単純な理由である。夏休みのアルバイトで学童保育の指導補助員をしたこともその要因のひとつかもしれない。朝、子どもたちの宿題を手伝い、勉強の終わった子どもと水遊びをしたり、障がいをもった子どもが園庭から逃げようとするのを追いかけて過ごした。体力的にはとても厳しく、ひと月で体重は数キロ減って、真っ黒に日焼けしたが、とても楽しく、充実した日々だったことを覚えている。

3年生になり、楽しみにしていた小児看護学実習が始まった。小児慢性期病棟で受け持ったのは中学2年生の男児であった。疾患ゆえに重い身体障がいを抱え、しかも、進行していく難病であった。車いす生活ではあったが、病院に併設されている学校に通い、同年代の子どもたちと屈託なく笑いながら、勉強にリハビリに、また、遊びに興じている彼の姿に、私は、患児の今持っている機能を最大限に活かして進行を最大限に遅らせるようリハビリを支援する看護を計画した。

学生としての日々のかかわりは、朝から夕方までほぼつきっきりであった。看護の視点を頭の隅に置いてはいたものの、彼と楽しくおしゃべりをしたり遊んだりしながら過ごす時間が続いた。ある日、ホールで夕方のリハビリの自主トレーニングに付き添っていた時のことである。彼にとっては決して楽ではないトレーニングであったが、障がいの進行を遅らせるために毎日取り組まなければならなかった。隣で励ます私は、ただ、「がんばれ、その調子!」と声をかけるだけである。始めてしばらくすると、突然、彼が大きな声を出した。『もう、いやや!何でこんなことせなあかんのや!』と。驚いた私は一瞬声も出なかったが、気を取り直して答えた。「しんどいな。でも、がんばってやらな、どんどん悪くなるで。がんばろな。」彼は涙を流しながら声を振り絞るように言った。『わかってる!でも、どうせやったって悪くなるんや、やってもやらんでもおんなじや!』、『学生さんにはわからへん!僕の気持ちなんて。』どう声をかければよいかわからなかった。彼は同じ疾患をもち、病気が進行していく友人たちを身近に見ている。予後の悪い病気の行く末も承知している。夕食後の人気のないホールで、私は彼の隣に立ちつくし、彼と一緒に泣いた。ひとしきり泣くと、彼の気持ちは落ち着いたのか、『ごめん、今日はもうやめとくわ。』と言って、車いすで病室に帰っていった。私は無言で彼の背中を見送った。

病とともにある人を看護することの厳しさを痛感した出来事であった。ただ好きだから子どもの看護をしたい、などという生半可な気持ちでは務まらないのだと、遅ればせながら気がついた。20歳だった私にとって、衝撃的な出来事であった。学生時代が遠い過去になった今でも、忘れられないエピソードである。この出来事を通して一回りも二回りも成長して、望み通り、子どもの看護師になった、と言えればよくできたお話なのであろうが、私は「挫折」した。子どもの看護師になりたいという夢をあきらめた。自信がなくなったのである。子どもが好きだから、病気や障がいに苦しむ子どもの姿に、命を落としていく子どもの姿に耐える自信がなくなった。命と向き合う覚悟ができなかったのである。

「挫折」した私が次に志したのは、健康な子どもを看護することである。養護教諭として、学校で、基本的には健康度の高い子どもたちの健康増進にかかわる仕事を選んだ。結果的には、養護教諭の道が私の最善の道だったのだと思う。もちろん、子どもの看護師になっていたとしても、そう思っていたのだろうけれど。未熟なわたしに無責任な言葉かけをされたあの時の彼に、今でも申し訳ないという気持ちが残る。一生忘れることはないだろう。救いは、実習を終わるときに彼がくれたありがとうのメッセージカードと、別れの時の泣き笑いの顔である。こうして、いろいろな患者さまや、児童・生徒たちとの関わりを通して、看護者として少しずつ成長させていただいてきたのだと思う。そして、これからも。

 

※所属・役職は掲載時のものです。