「なすべきこと」と「してはならないこと」の間に

2014/11/11

谷 直之(現代社会学部 社会システム学科 教授)

「急病人です!お客様の中にどなたか、お医者様か、看護師の方はいらっしゃいませんか?」
こうしたドクターコールに応えない、あるいは応えられない医師や看護師は珍しくないのだと言います。

看護師の職責は、保健師助産師看護師法(保助看法)に規定されており、「療養上の世話」と「診療の補助」の2つに大別されます。前者は、病気やケガと闘う患者さんが快適にすごせるように、食事の世話や身体を清潔に保つことなど、患者さんの状態を見守りつつお世話をすることで、看護師が専門職として主体的に判断して行う本来的な業務と言えます。後者は、医師だけが行える診療行為を補助することで、必ず医師の指示に基づかなければならないとされています。つまり、看護師の職責は補助的な位置づけと言えますが、診療を必要とするような患者さんは、すでに病気やケガで健康を害している状態にあり、看護師のちょっとしたミスでも、大きな事故につながってしまうリスクが高いと言えます。

医療現場で患者さんの健康や生命に何らかの害が発生した場合、患者側が医療過誤(ミス)ではないかと疑いを持つこともあり、ときには訴訟に発展する場合があります。これを医療過誤訴訟と呼ぶのですが、件数は減少しつつあるとはいえ、残念ながら少なからず訴訟は起こされており、また1つの裁判での損害賠償額も、高額化の傾向が見られます。冒頭で紹介したドクターコールに応えられない理由も、このような現状が影響していると考えられます。

ドクターコールがされるような状況は、緊急状態であり、患者さんはかなり切羽詰った状態にある上に、医師らは、患者さんの十分な情報もなく、満足な医療設備もない不衛生な環境で診療行為を行わなければならず、ほんの些細なミスでも、重大な結果に直結するリスクが非常に高いと言えます。万一の場合の、自分や自分の周りの人たち、さらには現在自分が担当している患者さんたちのことを思うと、どうしても躊躇してしまうというのもうなずけるところがあります。(もっとも、ドクターコールに応えた医師や看護師が法的責任を問われるということは、現実には、ほぼないのです。)

法的に言えば、適正な医療の知識と技能を用いて、法的に「なすべきこと」をなし、「してはならないこと」をしない限り、責任を負わされることはありません。つまり、法的に良い(正しい)医者・看護師は、「なすべきこと」と「してはならないこと」の間に在る、と言えるでしょう。法を守るということは、何よりもまず、患者さんを守ることであり、自分や自分の周りの人たちを守ることでもあるのです。

もっとも、法的に正しい医師・看護師が、医療人として、あるいは人として、正しい姿なのかというと、どうでしょうか?

ドクターコールに応えなかった医師や看護師は、たとえ救えたであろう命が失われてしまったとしても、法的な責任を問われることはないと思われます。消極的医療・防衛的医療と呼ばれることもありますが、訴訟リスクを恐れて、少しでも失敗するリスクがある治療法は選択しない、患者に負担をかけることになっても、後から軽率だと訴えられないように不必要とも思えるような数々の検査を行ってからでないと治療方針を決めない、説明が不十分だったと言われないために、およそ患者が受け止められないくらいの大量の情報を提供しておく。そういった医師や看護師は、確かに法的な責任を問われることはないのでしょうが、それが、皆さんが理想とする医師・看護師の姿でしょうか?

同志社の創立者である新島襄は、国禁を犯してアメリカへと渡り、そこで教育、とりわけ、良心教育の大切さを学び、同志社を設立しました。その新島襄の精神を大切に守り継いできた同志社女子大学が、これから社会に輩出しようとする看護師像とは、少なくとも異なっていると、私は、思っています。

 

※所属・役職は掲載時のものです。