もうひとつのまなざし

2014/10/20

才藤 千津子(現代社会学部 社会システム学科 准教授)

以前、手術をしてしばらく入院したことがあります。そのときの患者としての経験を思い起こすと、心身ともに弱っている患者は、自分を世話してくれる看護師さんの動きの背後にある態度や心のありかたを敏感に察知するように思います。看護の業(わざ)の裏に「思いやり」の心があるのかないのかを、直感で理解するのです。

経験した者には思い当たることですが、手術直後の観察室での一夜は、身体のあちらこちらにチューブがつながれ、食事はもちろん水を飲むことすらできなくて、とても苦しいものです。私の場合も意識が朦朧とした状態でしたが、それでも自分を世話してくれるてきぱきとした看護師さんの動きは、はっきりと感じ取ることができました。彼女はベテラン看護師だったのでしょう。私が少し暑くて汗が出てきたなと思っていると、「暑くないですか、毛布一枚とりましょうか。」、少し痛みが出て来たなと思っていると、「痛くないですか、麻酔もう少し入れましょうか。」と声をかけてくださいました。

一晩中、数名の患者の間を忙しく動き回り世話をしながらも、ただむやみに走り回るのではなく、まるで「もうひとつのまなざし」「患者の苦痛へと開かれたまなざし」で私の様子を細かく観察し、私の痛みや苦しみを感知しようとしておられるかのような看護でした。彼女の適切な看護に安らぎを覚えながら、どうして私が困っていること、望んでいることが、私がまさに声に出して訴えようとする前にわかるのだろうか、忙しさの中で患者への「思いやり」を示すことができるあの「気持ちの余裕」はいったいどこから来るのだろう、と内心感嘆しました。

ヘンリ・ナウエンという神学者がいます。彼は、1932年オランダで生まれ1996年に63歳で亡くなったカトリックの司祭です。ハーバード大学神学部などで牧会学や牧会心理学を教えた後、晩年はカナダのトロント近郊にある知的障害のある人々のためのラルシュ共同体「デイブレーク」で生活しました。現代人のスピリチュアリティについて鋭い洞察を示す著作を数多く残した著作家、研究者として有名です。

ナウエンは、『静まりから生まれるもの』(大和田功訳、2004年、あめんどう)の中で、日々の生活の中で「独り静まる時間をもつこと」「沈黙の時間をもつこと」の大切さについて述べています。現代の競争社会に生きる私たちの多くは、この世界の中で「何かを成し遂げること」「成功すること」「社会に貢献すること」を日々めざして生きていると彼は言います。彼は、そんな私たちの息もつけないほど忙しい活動のただ中でこそ、「静寂のひととき」の大切さを説きます。一日のうちに独りで静かに自分をみつめて神に祈る時間をもたなければ、私たちは、ただあちこち動き回っているだけで内実の伴わない活動をすることになってしまう、そしてそのような生活は、結局は私たちの人間としての生き方の根本を危うくすると述べているのです。ナウエンは、現実生活を遂行してゆくための普段のまなざしの他に、「もうひとつのまなざし」「目に見えないけれど大切なものを見ようとするまなざし」「愛と思いやりに開かれたまなざし」を持つことの意義について語っているのではないでしょうか。

「一瞬の祈り」ということばがあります。私が昔、病院でチャプレン(病院付き牧師)としての訓練を受けたときに聞いたことばです。大病院のチャプレンは、一日に数十人の患者さんやそのご家族と面接しなければなりません。危機の中にある方たちとの会話は緊張の連続で、ともすれば、こちらも疲れ果てて患者さんの話がよく聞けなくなります。そんなとき、「病室のドアをノックする前に、一瞬の沈黙の祈りを忘れずに。」とよく言われました。今改めて振り返ってみると、「一瞬の祈り」ということばによって、私たちが「もうひとつのまなざし」をもてるように心を切り替え、「目に見えないけれど、根源的に私たちを生かしてくださる大きな力」に自分をゆだねてゆくことの大切さを教えられたのだと考えています。

 

※所属・役職は掲載時のものです。