看護職のよりどころ:保健師助産師看護師法
岡山 寧子(社会システム学科 教授 / 2015年4月 看護学部長就任予定)
保健師・助産師・看護師の3職種は看護職とよばれています。7月は、その看護職のよりどころとなる法律が生まれた月です。今から66年も前の昭和23年7月30日に保健師助産師看護師法(当時、保健婦助産婦看護婦法)が制定されたのです。それは、看護の専門職としての根拠となる重要な法律(身分法、業務法)で、略して保助看法とよばれています。
保助看法制定以前は、看護職それぞれに独自の歴史を持ち、発展してきました。最も古い歴史をもつ助産師は、明治23年に産婆規則が制定、早くから独立して活動してきました。明治初めに教育が開始された看護師は大正4年に看護婦規則が、保健師は昭和16年に保健婦規則が制定されています。この3つの法律を1つにまとめたのが、保助看法です。この制定の経過は、その作業に直接関わった金子光氏の著書『初期の看護行政』(日本看護協会出版、1992)に詳しく述べられています。それを読むと、看護の独自性や専門性などについて熱い議論が交わされたことがうかがえます。中でも興味深いのは、看護職の機能をすべて持ち合わせた「保健師」とする動きがあったということです。今の保健師とは違い、この「保健師」免許があれば、助産も看護も保健もすべての業務ができるというものでした。結局、「リンゴとバナナとミカンは1つにはできない」ということで1本化せず、従来の保健師・助産師・看護師の3つの職種として、現在に至っています。保助看法は、今までに20回以上も改正されていますが、最近では、看護師の資格がないと保健師または助産師はできないという「看護師が基礎資格」であることが明示されました。これからも社会的な要請を受けながら、保助看法は改正され、看護職の姿も変わっていくことと思います。
さて、保健師・助産師・看護師はどのような仕事をする専門職なのでしょうか。保助看法で、しっかりと規定されています。保健師は「保健指導」、助産師は「助産または妊婦、じょく婦もしくは新生児の保健指導」、看護師は「傷病者もしくはじょく婦に対する療養上の世話または診療上の補助」を業とするとあります。保健師は保健活動、助産師は助産と保健活動といったところでしょうか。看護師は、世話と診療補助、つまりケアcare(世話・介護・援助など)とキュアcure(治療、医学的処置など)の2側面での役割が明確に打ち出されています。いずれにしても、看護職は、生まれる時も、病気の時も、元気な時も、お世話がいる時も、いつもそばにいて、人々の健康を看(み)護(まも)っているといえます。いわば、人々の人生そのものに関わる仕事なのです。
余談ですが、保助看法制定作業には多くの看護職が関わったのですが、その中の一人に井上なつゑ氏(1898-1980)という方がいます。彼女は英国留学の経験を持ち、戦後初の参議院議員、日本看護協会初代会長を歴任されるなど、当時看護改革の先頭を走った方です。最近、彼女の著『わが前に道はひらく、井上なつゑ自叙伝』(日本看護協会、1973)を読んだのですが、なんと「京都看病婦学校で学んだ」と記されていたのです。それによると、彼女は看病婦学校(当時は佐伯の学校)に助産の勉強のために入学、ところが勉学半ばで産婆試験に合格したため中退、その後、大阪赤十字病院で看護婦になる勉強したとのことでした。佐伯先生の教えはすばらしく、「本当に中身のある学校だった」と述べています。
京都看病婦学校で学んだ方が保助看法の制定に関わったことを知り、「すごい」と思うとともに、この法律が少し身近になったような、やっぱり不思議なご縁を感ぜずにはいられませんでした。今一度、保助看法をじっくり読み解こうと思います。
※所属・役職は掲載時のものです。